里帰り

木乃セイ

燃えている。
煌々と。
煌々と。
煌々と。
ーー燃えている。

 それは、飛行機の窓から見た光景だった。山が燃えている、と、思った。あれが母のよく言っていた、紅葉というものだとは、しばし理解ができないほどだった。
 木の葉が赤く染まるのだと、よく母は言っていた。私は木の葉というものを知らなかったが、赤は知っていたから、なるほど、と思っていた。
 火を見たのは二十歳のときだった。初任給で母に地球の料理を振る舞おうと、地球料理の教室に通っていた。
 地球料理には火を使うと聞いていたが、私のいた教室は電気エネルギーで材料を加熱していた。
 有機物を加熱しすぎると、黒く炭化することは知っていた。だが発火することは知らなかった。
 私は生まれてはじめて火を見た。生まれてはじめて、燃えているものを見た。
 それは煌々と光り、めらめらと舞い上がった。
 そもそも地球料理とはどんなものか、私はよく知らず教室に参加していた。母が地球で生まれたことは聞いて育ったが、地球がどんな星か、あまり興味はなかった。
 いや、ほとんどまったく興味がなかった。
 ごつごつした水っぽい丸いものや、不格好な橙いろのものを刃物でひと口大にして、調味して加熱した。
 まあ、楽しかった。手順通りに手を動かせば、見た目はともかく、食べたことのある味がするものができる。
 同じ教室に参加している生徒たちは、みな、地球に対しなんらかの思い入れを抱いているようだった。
 だが、火を見たことがある者はいなかった。ある班が加熱しすぎた鍋のなかで、材料が発火した。理解できずその炎に触れた者が、熱い、と言った。誰かがこれは火ではないか、と言った。
 火ならば消さねばならない。火星は乾いている。火気は厳禁であることなど、子どもであっても知っている。
 どうやって鎮火したのだったかは記憶にないが、なにか布をかぶせたのは覚えているからきっと火を消すことができたのだろう。
 そうだ。布をかぶせなくては。
 あの峰々を覆い尽くすような布を。
 そこでようやく私はハッとなった。あれが、あれこそ紅葉と母が呼んでいたものなのではないか。
 決して赤くはなかったが、資料写真で見た木の葉の形に似ているような気がしなくもない。黄いろ、茶いろ、そのほかの、赤ではないあらゆる暖色。それらが煌々と光り、めらめらと舞い上がっていた。
 これが炎でなくてはなんだというのか。
 私は恐怖に凍りついたが、飛行機はその峰々に向かいまっすぐ降りていくのだった。
 あの山に向かうことが母への弔いになるなどと、私はなんということを考えたのだろう。
 母の死は私に少なくないショックを与えた。初任給は母の土葬代と、地球への旅費でマイナスになった。
 母は地球へ帰りたがっていたが、地球をモニタか学校の教科書でしか見たことがない私にはその感情は理解に苦しむものだった。だからこそ、母への弔いに地球へと旅行することは、なにか私にとっても得るものがあるのではないかと考えたのだった。
 私ははじめて宇宙船に乗り、地球でローカル線の飛行機に乗り換えた。飛行機ならば仕事で何度か乗ったことがあったから、私はようやく人心地がした。
 窓の向こうに煌々と光るものが見えたのは、私が浅い眠りから目覚めたときだった。もうすぐ到着するというアナウンスが私を目覚めさせたのだとすぐにわかったが、もはや、それどころではなかった。
 母は地球に帰りたがっていたが、もはや、その考えは私にとって完全に度し得ないものとなった。秋を迎えるたびあのように山々が色づく場所、火を使って料理する風土が息づく星。あの星すべてを覆い尽くすような布を、布をかぶせなくてはならないのに。
 そうだ。地球とはかくも恐ろしい場所だった。
 火星には火がない。どこにも、あのおそろしい火がないのだ。その有り難さを身に沁みて知った。
 二度と地球になど行くまい。紅葉など見たくもない。
 私は今日も、火のない火星で暮らしている。

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