和傘

氷川省吾

 実家には非常に古い傘がある。和傘だ。どれぐらい古いかわからないが、祖父が子供のころからあったらしい。骨に張られた和紙だけでなく、軸までが赤黒く煤けている。そんな傘が蔵の壁の高いところにいくつか掛けられていた。
 実家はかなり古い。台所などの生活にかかわる部分はリフォームされているが、建物自体は築200年ほどになる。和傘が一般的だったのは明治時代までらしいので、掛けられている傘も家と同じぐらい古いのかもしれない。
 道具は長いこと使われていると、精霊が宿って付喪神になるという。この和傘は長いこと使われていないが、作られてから100年は余裕で経過しているだろう。付喪神たる資格は十分に持っている。
 実家では蔵の壁に掛けられた傘を見るたび、こいつは夜中になると和紙の表に目と口ができて、軸が足になって蔵の中を跳ねまわっているんだろうなと話して、家族と笑っていた。蔵の中には傘と同じぐらいに古いものがいくつもしまわれており、夜中の蔵は付喪神の集会場にでもなっているはずだ。うっかり蔵の戸を閉め忘れていれば、外に繰り出して百鬼夜行をやらかすに違いない。
 就職してからしばらく経ったころ、私は久しぶりに里帰りした。家族が揃ったのですき焼きでもしようということになり、蔵の棚からすき焼き鍋が入った箱を取りに行った。ふと、和傘の方に目をやり、なんとも懐かしい思いを抱いた。こいつらは私が出て行っても、相変わらずここにかけられたままになっている。多分、この家が存在する限り、この傘はここにあるのだろう。それとも、適当なところで飽きて、足を生やして出ていくのだろうか。
 すき焼き鍋の箱を持って外に出ようとした私は、何の気なしに傘の方を見上げた。すると、傘の内側に何か白いものがあるのが見えた。
 目だった。黒い瞳を持つ目が、傘の内側にある暗闇の中からこちらを見ていた。あの狭い空間に顔があるのかどうなのかは見えなかったが、目だけははっきりと見えていた。
 そいつと目が合ってしまった私は硬直した。10秒経ったか1分経ったかした時、目の下に指が2本現れ、傘の端――軒の部分をそっと押し広げた。ちょうど、カーテンや暖簾を横にのけ、向こうにある物をもっとよく見ようとする、あるいはそこから外に出るときのように。
 私はそいつから目をそらし、蔵から出て戸を閉め、かっちりと閂をかけた。そして何も言わずに台所へと戻り、夕食のすき焼きを味わった。
 あの傘は夜になると蔵の中を跳ねまわるのだろう思っていたが、そうではなかった。中から何かが出てくるようだ。
 夜は蔵の扉をきっちり閉めておくべきだろう。

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