なんでもヒットマン

 当日、連中のボスが奥の個室で会談をしている最中に、40代にほどの男性の客がやってきた。私はそれが彼だと思ったが、入り口で護衛がボディチェックをしても何も出てこなかった。
 単にまだ来ていないのか、それとも別のルートで侵入するつもりなのか。
 そう思った瞬間、客がカウンターの上のペンを手に取り、護衛の一人の喉めがけて叩きつけた。画面越しには音はわからなかったが、喉にペンを突っ込まれた護衛が、目を見開いて喉を押さえたまま前にぶっ倒れる様子がはっきりと映っていた。
 残りの連中が何が起こっているかを理解するより早く、客――殺し屋はペンを握った手を壁に当てて、護衛の一人の頭を掴んでそこに叩きつけた。ペンが後頭部にめり込んで、護衛は即死した。
 最後の一人は立ち向かおうとしたが、逆に殴られた挙句にカウンターに頭を叩きつけられ、耳にペンを突っ込まれて肘を打ち下ろされた。ペンは完全に頭の中にめり込んでしまった。
 私の監視役として部屋にいた護衛は顔を青くして外に飛び出していき、私の方はあっけにとられたままでカメラの映像を見続けた。
 これが後々まで語り継がれることになる、あの出来事だった。画面の中で、彼はラックに入れられていた新聞をいくつかまとめて取ると、それを固く絞って石のように丸めて即席の棍棒ミルウォール・ブリックを作った。それから護衛の一人のベルトを引き抜いて持ち、そのまま堂々とレストランに入って、奥の個室へと歩いて行く。他の客の目に届かないエリアに入ったところで、私を監視していた奴を含む護衛が何人か飛び出してきたのだが、結果は最初の3人と似たような具合だった。
 新聞紙の棍棒でこめかみをぶん殴られて頭蓋骨を砕かれ、銃を取り出せば鞭のように振るわれたベルトが絡みついて動きを封じられ、喉笛を叩き潰された。ベルトをひっかけられて投げられ、頭から床にたたきつけられた奴、顔に巻き付けられてひねられたせいで頭が反対側を向いた奴もいた。
 そうやって相手をすべて血祭りにあげ、彼は標的がいる個室へと足を踏み入れ、1分ほどたってから出てきた。さすがに私も何が起こったのかを理解して、厄介なことにならないうちに逃げだした。
 銃を使えない殺し屋を待ち伏せて捕まえるはずだったのが、ペンとベルトと新聞紙で自分たちが返り討ちにあった。策に溺れる者は策によって滅ぶと言うが、これは誰にも想像できなかったはずだ。
 この一件で主だったメンバーがみんな死んでしまったせいで、私が裏で連中と手を組んでいたことを知る者は誰もいなくなった。そして、私の方は連中がいなくなったことで、彼らが使っていた販売ルートをそのまま利用できることになり、かねてからの願望通り商売を大きくすることが出来た。マフィアの方も、厄介なよそ者がいなくなって満足したらしい。

 そんな中で唯一の不安要素が、殺し屋が私の裏切りを知っていたのか、あるいはいつか知ってしまうのではないかということだった。
 後に目が届く範囲に留め置けるようになったことで、少しだけとは言え安心できたが、やはり厄介なことになる前に消しておくべきかと思ったことも何度かあった。だが、そのたびに監視カメラ越しに見たあの光景がフラッシュバックして思いとどまった。
 そして今、私にとって最も強力な武器であり、最も恐ろしい存在が、こうして引退の挨拶にやってきた。これは幸いと受け取るべきなのかどうかについて、まだ判断が出来ない。
「さて、そろそろおいとまするよ。酒をありがとう。実にうまかった」
 その言葉を聞いた時、私は少なからず安堵した。彼の言葉通り、私を殺しに来たわけでも、拷問しに来たわけでもないようだ。今ならあの事を聞いても、ブランデーのボトルで頭をかち割られることはないはずだ。彼が立ち上がったところで、私はついに踏ん切りをつけて口を開いた。
「少し待ってくれ。一つ聞きたい」
「何かね?」
「最後に銃を用意したときだが、なぜ使わなかった?」
「ああ、あのときか」
 彼は少し困ったように頭をかいた。やはり気づいていたのだろうか。あの銃が撃てなかったことを。分解してよく観察すれば、撃針の先端部にヤスリをかけた跡を見出したはずだ。それを誰がやったのかということも、即座にわかっただろう。
「実は、仕事の前に失くしてしまってね」
「銃を?」
「いや、鍵を」
「……」
 わずかの間だったが、言っている意味が分からなかった。そしてようやく、私が銃をしまっておいた、駅のロッカーの鍵のことだと理解した。
「宿から現場に向かう時だった。変装して銃を取りに行こうとしたんだが、そこで鍵が見つからなくなってね。宿に戻って荷物をひっくり返して、鍵を受け取ってから歩いてきた道や立ち寄った店を探してみたんだが、結局見つからないままだった。時間もないから、様子だけでも伺っておこうと思ったんだが」
「それで素手で乗り込んだのか?」
「結局はそれで正解だった。入り口でボディチェックされたからな。連中の方も何か感づいていたらしい。店の中に入る前に銃撃戦になったら、確実に逃げられただろうな……。いや、向こうが準備していたら、銃を持っているとわかった時点でこっちが撃たれたかもしれない。ひとまず、何も持たなかったせいで命拾いした」
 この男は、失くし物をしたために敵が待ち構えている場所に素手で乗り込み、生き残ったどころか武装した相手を始末したのだ。間抜けではあったが、悪運と実力がそれを上回った。
「そこで気づいたんだ。あたりにあるものを使えば、得物を持ち込む必要もない。ボディチェックも通り抜けられるから、非常に楽だってことに。道具の調達のために人を介する必要もないから、それだけトラブルも減る」
 最後の言葉は、まるで私が仕掛けた工作に対する皮肉のように思われた。可能な限り面の皮を厚くして、それを気取られないように気を付けたが、それが通じたかどうかはわからない。
「仕事の前に、うっかり大事なものをなくしてしまうなんてこともなくて済むだろう?」
 多分もう会うこともないだろうが。そう言って、彼は悠々と部屋から出ていった。入ってきたときと同じように、出ていくときも警備の連中の目にとどまることはないだろう。あれはそういう生き物なのだ。
 彼が立ち去った後、私はひどい疲れを感じた。誰かと会って命の危険を感じたまま話をするなどという体験は、かなり長い間していない。さっさと寝るべきだと思い、まずはシャワーを浴びるべくバスルームに行った。
 部屋の電気をつけたとき、洗面所に不釣り合いなものが置かれているのが目に留まった。大型の軍用自動拳銃。やや古い型で、今では扱っていない。
 銃はいざというときのために部屋に置いているが、こんな場所に置いた憶えもない。だが、私はその銃を知っていた。その昔、私が彼に渡す予定だった9mmだ。
 銃の下にはメモが挟まっていた。
 “不良品につき返品”。
 私は急いでオフィスに戻り、PCを起動した。銃を置いた相手の口座に、前回の仕事の報酬の倍の金を振り込んで、ヘネシーのパラディを送る手続きをした。
 こんな商売だが、やはり顧客に嘘をつくのは良くない。
 危うく死ぬところだったのだ。

コメント