彼は30年以上にわたってこの仕事を続けてきた。自らの手で“消した”人数は200人を下らないはずだが、彼は武器を持たない。時には何人も一度にあの世へと送るが、拳銃もライフルも爆弾も使わない。
道具は常にその場にあるものを使う。文字通りその場にあるものだ。キッチンの包丁、工具箱のレンチ、納屋の枝切バサミ、机の上のペンやボールペン、パソコンの電源コード、クローゼットの針金ハンガー、本棚の雑誌、洗面所のタオル。彼の手にかかれば、日常のありとあらゆるものが凶器になり、人を死に至らしめる力を発揮する。
彼のやった仕事の一部は伝説となっている。もちろん、彼自身がやったと話しているわけでもなく、それに関与した人間が言ったわけでもない。そんな口の軽い人間であれば、彼は今頃ここにおらず、どこかの刑務所の独房か、土の下か海の底にいることだろう。
だが、状況からして彼がやったのだろうと思われる仕事が知られている。そしてそのどれもが、非常に困難な内容ばかりだった。
やろうと思えば、彼は10通り以上の方法で私を殺せるだろう。もちろん、誰かを呼ぶ暇もなく。
「金をせびりに来たとは思ってはいない。何を目的にしているのか分からなかったから警戒していた」
「さっきも言った通り、ただの挨拶だ。それに君の場合、交渉するまでもなく十分すぎるほどの金を出してくれたから、後で経費を請求する羽目になることもなかったからな」
「それだけの金を出すのに値することばかりだった」
私は彼に仕事を依頼するにあたって、惜しみなく金を払ってきた。言ったことに偽りなく、彼が仕事を成し遂げたことによって私が得る利益、あるいは防止できた損失に比べれば、彼に払った報酬は必要経費の域を出ない。
2年前にはアフリカ某国の軍の高官を始末してもらった。こちらが軍に卸した品の一部をちょろまかして、テロ組織に転売していた。ご丁寧に、私が直に販売しているかのように見せかけた上でだ。
私が各国の捜査機関や情報機関から目をつけられつつも娑婆にいられるのは、売り先の組織をそれぞれの国の法律で容認されている物だけにしているためだ。コソ泥じみた真似の罪を人に擦り付けられてはたまらない。
私が次の製品を納入する前に、高官は自分の執務室で椅子に座ったまま死んでいるのを発見された。彼の左目には愛用の万年筆が突き立てられ、先端は脳の中枢まで届いていた。誰が基地の中の彼のオフィスにまで入り込んで、見とがめられることもなく抜け出したのかやったのかは全く分からなかった。
同じ年に中米の麻薬カルテルのボスの甥が、自分の屋敷の庭で死んだ。そいつは自分の兄と共に、私が南米から武器を買って流通させるルートにコカインの密輸を便乗させようとした。それで私が雇っている現地のバイヤーを脅迫した。
ただ乗りを目的に私の部下を脅迫するなどというのは以ての外だ。何より合法に武器を流通させるルートに、違法な品を紛れ込ませられるわけにはいかない。私の商売に寄生しようなどと考えれば、相応の結末が待っている。
私の部下を脅した犯人は、自分の屋敷の庭で喉をバッサリ切り裂かれて死んだ。凶器は庭に植えられていたリュウゼツランの葉だった。
それから30分も経たないうちに、脅迫に参加していた兄が屋敷の中で絞殺された。自分が身につけていたネクタイで、そのまま首を絞めあげられて窒息死したのだ。
折悪く、屋敷ではパーティーが開かれていた。犯人のめぼしは一切つかなかった。当然だ。
去年は北米で、アンダーグラウンド界隈で有名なクラッキングの専門家を始末してもらった。こちらの仕事の情報を探ろうと、サーバーに侵入を試みたのだ。危ないところまで入り込まれかけたので、余計な事を知られる前に速やかに消えてもらった。
現場は路上で、凶器はその場に落ちていた街路樹の小枝だった。長さ15㎝程度の広葉樹の枝は、後頭部から眉間の間を結ぶラインを正確になぞるように突き刺され、クラッカーの延髄を破壊して生命にかかわる機能を停止させていた。
好奇心は猫をも殺すと言うが、なまじ腕がいいだけに死神を招いて、自分の寿命を縮める羽目になった。死神は鎌ではなく、小枝で命を奪い取った。
なんの比喩でも冗談でもなく、素手で軍事基地に潜入して高官を殺し、麻薬組織の幹部を殺し、電子の海の中にもぐっているクラッカーの居所を見つけて殺した。その腕を知っている人間で、金と動機さえあれば誰もが欲しがる人材だ。
私以外にもいくつか仕事の受注元はあるのを知っていたが、私はそれらのどこよりも高い報酬を支払っていた。一つは優先的に仕事を引き受けてもらうため。そしてもう一つは、その恐ろしい腕前が私の方に向かないようにするためだ。資本主義と自由市場の原則はこんな世界でも通用する。一番良い値を出したバイヤーが生き残る。
特に、私の場合は切実な事情があった。彼には私を殺すに足る理由がある。かなり昔の話である上に彼はそれを知らない――おそらく。だが“落とし前”をきっちりつける性格の持ち主であれば、何十年経とうが関係ない。真相を知った際にどう動くかは予想ができない。目の届くところにいてもらい、十分な金を出してご機嫌を取り続けるとともに、こちらの役に立ってもらうのが安全な付き合い方だ。
それゆえに、前回の仕事で引退の話を切り出されたときは、優秀な人材がいなくなることへの残念さと、ひそかに恐れている相手が自分の制御下から離れることへの恐怖があった。彼は私の部下ではなく、あくまで外部契約のフリーランスなので、私には止める権利もない。無理に引き留めるとかえって怪しまれるかもしれない。
引退にはまだ少し早いんじゃないかとさりげなく言ってみたが、年で以前ほど素早く動けなくなってきたと言われれば、止めることはできなかった。
「金を出してもらっても、それに見合うだけのサービスが提供できるとは限らなくなってきた。だから引退だ」
ブランデーをもう一口飲みながら彼は言った。ごく当たり前の仕事の話をするような口調で。
見た目にはそこらの人間よりよっぽど健康に見える。私と大して変わらないはずだが、見方によっては30代後半にも見えるし、年上であってもおかしくないようにも見える。
「その割には、今回は大した働きぶりだった。素手でマフィア一つ潰す人間にしては謙遜が過ぎる気がする」
私がそういうと、彼はブランデーグラスを机に置いて、首を横に振った。
「君もよくわかっていると思うが、この年になると昔と比べると動きが遅くなる。君の方は頭がしゃっきりしていればまだまだいけるが、こっちはそうもいかない。今回みたいな大きな仕事を頼んで、ヘマをされたら雇い主だって迷惑だろう? 今回も少し危なかった」
「結果的にはうまくいった。あれは君以外、誰もできない」
引退前の最後の仕事として私が依頼したのは、東南アジアの華僑マフィアへの攻撃だった。彼らは東南アジアにおける私の売買ルートの乗っ取りを企んでいた。元軍人を多数抱え込んだ新興勢力で、急速に力をつけていることで知られた連中だった。
そこで、私は彼に仕事を依頼した。すぐに彼は現地に飛び、1週間後には事務所にいた幹部とその取り巻き2人が始末された。凶器はコルク抜きとウィスキーが入ったショットグラス、被害者の一人が持っていたナイフだった。
その翌日、会食をしていた幹部と資金洗浄の担当者が、護衛と共にステーキナイフとワインボトルで殺された。ブレーカーが落ちて停電し、電気がついてみると全員が死んでいたのだ。
護衛はステーキナイフを喉に突っ込まれて、声を出す間もなくあの世行き。幹部は片方がロマネ・コンティのボトルで頭をたたき割られ、もう片方は割れてギザギザになったボトルの断面で喉を掻っ切られていた。1万ドルのワインが入ったボトルは、彼がこれまで使用してきた道具の中では最も高価な物だっただろう。
幹部の連続死に驚いたボスは、どこからかもたらされたタレコミを元に、実行犯が借りているアパートの部屋へと部下を送った。完全武装した8人の元軍人は、非常に的確な動きで部屋へと突入したが、それから30秒もかからずに全滅した。
標的となるべき殺し屋は部屋にいなかった。代わりに、武装した連中が突入する少し前に、中にスプレー缶が入れられた電子レンジが動き始めていた。加えて部屋のあちこちにはふたを開けたガソリン缶が置かれ、都市ガスの元栓が開けられていた。
結果は誰もが想像できる。覆面をしていた武装兵たちは、部屋に入った時の異臭に気づくのが遅れた。全員が入ったところで、電子レンジの中に入っていたスプレー缶は火花と共に盛大に破裂し、小型の燃料帰化爆弾並みの威力で周囲を吹き飛ばした。その炎は気化したガソリンと都市ガスに火をつけて、武装兵たちを黒焼きに変えた。
そしてその3日後には、彼らのボスがシャワールームで感電死した。いつの間にか、2本のワイヤーがコンセントから伸ばされ、1本がシャワーヘッド、もう片方がシャワールームの床に垂らされていた。シャワーから出てきた湯とボスの体、床に垂れた湯が回路を形成した瞬間、電流が駆け巡って心臓を止めた。
その時のボスの屋敷は、相次ぐ幹部の死と襲撃の失敗から、並みならざる厳重な警戒態勢が敷かれていたのだが、ボスの死は丸1日ほど知られることはなかった。屋敷にいた護衛も手下も、全員が死体になっていたからだ。
凶器は今まで通り、そこら辺にあったものばかりだった。レターオープナーやベルトで殺されていた奴もいれば、辞書で喉を叩き潰された奴、洗面所で溺死させられていた奴、足を折られて肉の貯蔵室に閉じ込められ、そのまま凍死した奴までいた。
一連の彼の働きを経て、私の東南アジアにおける商売敵は瞬く間に殲滅された。東南アジアは、経済発展と領土欲を出してきた大国の動き対応した軍の近代化により、なかなか大きな旨味を持つ商売エリアとなっている。それを維持できたことによって私が確保した利益は決して小さくはない。
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