ダガーの刃が、私のコートの襟をつかんだボクサーの左腕の内側を、斜めにバッサリと切り裂いた。動脈とともに筋肉が切断され、襟をつかんでいた手から力が失われる。
立ち上がりながらダガーをフォアハンドで振り、返す刀で腋の下の動脈も切り裂く。ボクサーが呻いて腕をひっこめた。
傷は浅いので、失血死するにはまだ時間がかかる。だが、奴の戦闘能力を削いで、隙を作り出すには十分だ。
私は低い姿勢のまま振り向き、元兵士の方へと踏み込んだ。同時に、パンツの左ポケットからカランビットナイフを逆手に握って取り出す。元兵士の方はジャケットの内側に手を入れた状態だった。拳銃を取り出そうとしている。
私は相手の右肘めがけてダガーを突き出した。刃先が肘の外側――ぶつけると腕がしびれるあの場所――に刺さって尺骨神経を傷つけ、右腕の機能を破壊する。
腕に走る強烈な刺激に、元兵士が叫んで前かがみになっった。私はダガーを引き抜きながら体を右に旋回させ、左手のカランビットで元兵士の上腕を切りつけた。鉤爪型の刃が僧帽筋を引き裂き、右腕全体が上がらなくする。これで銃を取り出すことはできない。
カランビットを振った勢いで、ボクサーの方に向き直る。左腕の負傷から予想以上に早く回復していたボクサーは、ブラスナックルを嵌めた右拳で強烈なストレートを放ってきた。
レンガも粉砕できそうな一発をかがんで避け、空手の払いの要領で、カランビットで右腕の内側を下から上に切り裂く。手首の動脈と腱を断ち切り、低い姿勢のまま少し踏み込んで、ダガーを右の内股に突き刺した。太ももの奥深くにある深部大腿動脈を切断し、刃を捻じって傷口を広げ、一気に引き抜く。
人体で総頚動脈に続いて太い動脈から、ホースでぶちまけるように血が噴き出した。左右の腕の動脈切断と合わせて、十数秒で意識が失われる。
すでに死んだも同然のボクサーを放置し、私は元兵士の方へと突進した。ひじの痛みから立ち直ろうとしている相手の懐に飛び込み、カランビットをアッパーのように振るって、腹と胸の境目に刃をねじ込む。湾曲した刃を一番下の肋骨に引っ掛けて引き上げた。枝肉にミートフックを刺して動かす時のように私は元兵士の体を盾にして、標的から身を隠した。
銃声が響き、つい先ほどまで私の足があった場所を貫いて弾丸が地面をえぐった。銃声からして、標的の拳銃は.45口径のようだ。威力は大きいが貫通力は低い。標的が部下をハチの巣にすることをいとわない性格でも、この“盾”十分防ぐことができる。
突き刺したカランビットを取っ手のように引っ張り、元兵士の体を肉の盾として扱いつつ、ダガーで腹の右側あたりを3回刺して捻じった。張り手の仕返しとしてはおつりが出るほどのナイフを食らわせ、肝臓をズダズダにしてやる。1回刺しただけでも大量の出血に見舞われ、1分で意識が失われる場所だ。
こいつが死ぬのが確定したとき、さらに銃声が鳴って、元兵士の体が震えた。標的が私の“盾”に弾を撃ち込んでいる。身内だからと言って躊躇する人間ではなかったらしい。容赦なく弾丸が撃ち込まれてくるが、鉛玉は元兵士の体を貫いてくることはない。
死ぬのが1分後から今に変わった元兵士の体から力が抜ける。私の腕力ではその重さは支えきれない。私は踏み込んで、死にゆく男の体を肩で支えるようにしながら、ダガーを引き抜いて前に向けた。ちょうど、銃撃戦の際に遮蔽物の陰から銃を突き出すのと同じように。
死体の脇腹から片目だけのぞかせ、前に向けたダガーの刀身と、拳銃をこちらに向けている標的の姿が重なったとき、私はダガーの鍔を親指で横にずらした。金属音とともに、ダガーの刀身が猛烈な勢いで射出された。
柄の中に強力なスプリングが入っており、鍔の部分をずらすとロックが解除され、刀身が茎ごと飛び出す。私の全体重をかけないと縮められないほど強いスプリングの力が、200gにも満たない刀身に込められて撃ち出される。ナイフを投げるよりも少ない動作で、はるかに正確に10m先でも人間の頭蓋骨を貫くことさえできる。
胴体のどこかに当たれば、12㎝の刃が根元までめり込むことになる。刺さって死ねばそれでよし、即死しなくても、弱ったところでとどめを刺してやればいい。
放たれた刃が肉に突き刺さるのを期待したが、標的が体の前で銃を持った手を横に振りはらうと、金属同士がぶつかる音が聞こえた。標的の手から銃が弾き飛ばされ、銃のフレームに刃が突き刺さっているのが見えた。
驚いたことに、矢と同等以上の速度で飛んでくるナイフを拳銃で受け止めたらしい。年に見合わない、驚くべき反応速度と動体視力だ。
だが、これで標的の武器はなくなった。私は元兵士の死体を放り出し、標的へと突進した。柄だけになったダガーを捨て、ベルトの後ろにつけていた鞘からナイフを引き抜く。
人間は本能的に手を前に出して体をかばう。ナイフを相手にした格闘術でも、ナイフを持っている手を押さえるために腕を出す。
だから、まずは指を切り飛ばす。ひるんだところで目を切りつけ、続いて太ももの側面の神経が集まる部分を刺す。それから足を払って倒し、腎臓を刺した後に喉を掻っ捌く。
余計な抵抗をされる前に速攻で殺す。躍りかかろうとしたとき、標的の手が腰の後ろに回された。ちょうど私が先ほどしたのと同じように。
制動をかけた瞬間、抜き出された標的の腕がヘビのようにしなって繰り出されてきた。銀色の光を伴って、私の顔があったはずの位置を通過する。
私は軽くステップして距離を取った。標的はナイフを手にしている。これは予想外だ。
標的が手にしているのは槍の穂先のような形状の刃をしたダガー。中ほどの部分が鋸刃になっている。見たところでは、刃渡りは16.5㎝。
柄を握る手のスタイルは、親指をヒルトに添えたサーベルグリップ。刃先もふらつかずに、見事に定まっている。右手の指の腹には胼胝が出来ていることだろう。
つまりは私の同類だ。
仲介業者がよこした資料には、そんなことは書いていなかった。情報を受け取っている顧客としては、後でクレームを入れてやるべきだろう。
こいつに殺されずに仕事を成し遂げられれば、の話だが。
標的と私は、ダガーの刃先を相手に向けながら向かい合っていた。ナイフを使う相手と、正面から立ち会うのは久しぶりだ。アドレナリンが分泌され始めたことで、ウィッグの下で髪の毛が逆立ち、瞳孔が開いて世界が明るくなるのが分かった。血流の量が増して、耳の中で鼓動の音が響く。
始まりは唐突だった。標的の体がふと沈むと、地面からガラガラヘビがとびかかるようにダガーが突き出された。脇腹を狙ってきたダガーを持つ右腕を、私は左手で外に払った。カランビットで手首をざっくりと切り裂いてやるつもりだったが、刃が触れるよりも早く、標的の腕は引き戻されていた。
私は踏み込みながら、右手のナイフを標的の顔へと振るったが、引き戻された標的のダガーが、またもヘビのスピードでもって突き出されてきた。
踏み込みをやめてスウェーバックしたところを、標的は距離を詰めてくる。動きにスキがない。
まっすぐ来るかと思われた標的は、私の左側へとステップし、肩めがけてジャブのようにダガーを振ってきた。僧帽筋を切断して腕を動かなくする狙いだ。
体を開いてかわしたが、コートの表面を刃が切り裂いたのが分かった。体を開いた動きで右足から踏み込み、目を切りつけるが、左腕で手首を受け止められてブロックされた。
腕をつかんで来ようとしてきたので、とっさに振り払いながら、右足で相手の脇腹を蹴り上げた、ブーツ越しに、相手の肋骨がきしむ感触が伝わってくる。標的の動きが止まったタイミングで、カランビットをふるって今度こそ目を切りつける。標的がダガーを引き戻して受け止めると、内反りの刃と鋸刃がぶつかって不快な音を奏でた。
腹にナイフをねじ込んでやろうとしたが、それよりも早く相手の左拳が私の顔めがけて繰り出されてきた。とっさに顔をのけぞらせたが、間髪入れずに出された前蹴りが腹にぶつかってきた。
息を吐いて腹筋を締めたが、丸太でもぶつかってきたかのような衝撃が炸裂して、私の体は後ろにふっ飛ばされた。何とか後頭部を守って受け身を取り、飛ばされた勢いを利用して後転して、何とか足を地面につけた状態に戻った。
そのまま近づいてこようとしてきた標的をけん制するため、ナイフを構えて前に突き出す。再びにらみ合う状態になったが、やはり私の方が不利だ。フィジカルの面では勝てないのはわかり切っている。とはいっても、負けるつもりはさらさらない。
ナイフの柄頭につけたストラップを手に通し、一周巻いて柄とともに握りこんだ。これで握りが緩んでも落とさない。
足を地面に滑らせるようにステップして右に回りながら、相手との間合いを詰めた。標的は完璧な中段の構えを取り、私に刃先をぴたりと合わせて迎え撃つ姿勢でいる。
フェイントで右に回るこむように見せかけて、左に低く踏み込んで下から腕を狙う。ダガーが引かれ、槍並みの間合いと鋭さで突き出されてきた。何とか間合いを外すが、槍が鞭へと変わって、こちらの顔めがけて振るわれる。
やはり相手の間合いの方が長い。突き出されるナイフを持つ手を狙おうとしても、かわされて刃が振るわれる。喉元を狙ってきたときに、手をめがけてカランビットで切り付けたが、相手は既にナイフを戻そうとしていた。そのタイミングを狙い、私は左手のグリップを緩めた。人差し指にかけていた柄頭のリングを中心に、ガンマンが銃をスピンさせる時と同じようにナイフを回転させる。
柄の分だけ間合いが伸び、鉤爪の先端が手の小指側を切り裂いた。標的が反射的に手を引っ込めようとしたところで、私は左足を振り上げて、つま先で標的の手首を下側から蹴り上げた。
標的の手からダガーが飛んだ。それが地面に落ちる前に踏み込んで、右手のナイフを脇腹めがけて突き出したが、左腕で払われた。その代償として、標的の上腕がざっくり切り裂かれる。
状況は私に有利に働いている。このまま少しずつ切り付けていけば、いずれ無防備な胴体に刃をねじ込むことになる。
返す刀でもう一度切りつけようとしたが、左手で上に払われた。こちらの胴ががら空きになる。左手で防ごうとしたが、素早く繰り出されたジャブが肋骨に突き刺さった。
骨に響く痛みに動きが止まると、標的は私の右腕を払った手で握り、そのまま捻じってわき固めの形で極めてくる。斜め後ろに腕を伸ばされて締めあげられ、カランビットで切り付けることもできない。骨がきしみ、靭帯が引き延ばされる痛みが伝わってくる。
続いてナイフを握る右拳に強い衝撃と痛みが走った。ナイフを奪おうと、標的が手を殴ってきている。このままでは肘が逆に曲がる。ナイフまで奪われれば優位が消える。
私はナイフを取り落とさないように柄を握りこみながら、両足に力を入れた。一気に地面を蹴り、固められている右腕を中心に、前方宙返りの形で回転する。私の全体重を使った力で振りほどかれた形になり、標的が私の腕を放した。
着地しながら身を沈め、相手の膝の裏を蹴る。バランスを崩して前のめりになったところに、サッカーボールのように腹を蹴りつけてやる。
みぞおちにまともに靴先がめり込んだように見えたが、標的は一気に身を起こしてつかみかかってきた。予想以上に素早い動きで、両手首をそれぞれ掴まれる。
暴漢がこうやって襲ってきたときの一般的な対抗策として、股の間めがけて膝を振り上げてやる。しかし、膝が標的のタマを叩き潰すよりも早く、相手が頭を思いきり前に振ってきた。額がまともに私の鼻柱を捉え、軟骨がへしゃげる音と共に、目の前でフラッシュがたかれたかのような衝撃が弾ける。
意識が吹っ飛びそうになるのをこらえ、2発目に備えてあごを引いた。左手をおさえていた手が離れるのを感じたが、逆手で切り付けるには距離が近すぎる。こちらから頭突きを見舞ってやろうとしたとき、あごに物が突き刺さるような鋭い衝撃が走り、視界ががくんと上を向いた。
視線だけかろうじて前に維持すると、降り上げられた標的の肘が見えた。こちらのあご先めがけて、肘を上向きに振ったらしい。目の前を星が飛び、視界がぼやける。標的の腕が私の後頭部へと伸ばされ、ポニーテイルにしている後ろ髪を掴んだのが分かった。
次はどう来るか。ひねって首をへし折る、喉を叩いて気管を潰す。いずれにしても致命的だ。
だが、どれもうまくいかないのを私は知っていた。
標的が私の髪を思いきり引っ張ると、髪が抜けた。ポニーテイルの根元ではなく、髪全体が頭から外れたのだ。
今の私の髪は変装用のウィッグだった。
予想していなかった手ごたえの軽さに、標的の動きが一瞬だけ止まり、バランスが崩れたのが分かった。
即座に足を上げ、踵で標的の足の小指を思いきり踏みつける。相手が痛みに息を詰まらせたところに、少しだけ後退してスペースを確保し、左手を振って顔のあたりを切りつけた。
カランビットの鉤爪が標的の右目の下に突き刺さり、瞼を通って額までまでを一気に引き裂いた。目を縦断する傷から一気に血があふれ出し、標的が獣のような声で吠えた。顔をのけぞらせてよろけた拍子に、私の右腕を掴んでいた手が離れる。
私は即座に身をかがめ、ナイフを標的の左太もも側面――足を動かす神経が走っている場所――に直角に突き立てる。足に走った強烈な刺激に、標的が再び吠えた。
瞬時に標的の左下肢から力が抜ける。私はナイフを引き抜きながら、バランスを崩して前のめりに倒れる標的とすれ違うように、その背後へと回った。
地面に手をついて支えようとしたところを、私は体重をかけて体ごとぶつかりながら、ナイフを標的の右腰に突き刺した。腎臓に黒い刃がめり込み、無数の血管を切断する手ごたえがあった。
標的の体が、死に至る痛みに反応してエビ反りになる。放っておけば死ぬが、こいつに限っては確実に殺す必要がある。
ナイフを捻じって引き抜きつつ、左手を相手のあご下に回してカランビットをあごの下に突き刺す。骨に引っ掛け、釣り針のように引き上げて喉をあらわにした。同時に標的の首に右手を回し、左あごの角の真下に、刃を直角に深々と突き刺した。刃を右へ、逆側のあごの角へと引き、2本の総頚動脈と気管をまとめて切り裂く。標的の喉は耳まで裂けた口のような有様になって、脳に向かうはずの大量の血液を一気に流れ出した。
標的が喉に手をやったが、あふれ出る血を押しとどめることはできない。気管に入った血と最後の吐息が混ざり合い、あぶくが立つ音が聞こえる。
カランビットとナイフを引き抜き、標的の後頭部を掴んで顔面を地面にたたきつけた後、私は立ち上がって後退した。標的の喉と右腰からあふれた血が作る血だまりが、急速に広がっていく。喉からは飲み物にストローで息を吹き込むのに似た音が出ていたが、ほどなく静かになった。
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