依頼を受けてから3日後。私は標的がいる街で、相手を探していた。標的の根城があるとされるエリアのカフェで、オープンテラスの席に座ってカプチーノを飲んでいる。ここは繁華街の中でも人通りが多い場所だ。平日でも多数の人々が周囲を行き来している。
彼氏と連れたって歩く、明るい色のダウンジャケットをまとった若い女。仕立ての良いコートを着た紳士。友達とはしゃぎながら道を行く少年たち。普通の世界の、普通の人々。この中では私は異物だ。だが、中に溶け込む術を知っている。
この周辺に、標的にしている連中の根城があるが、詳細な場所までは依頼主も把握していない。最初に攻撃を受けてから、相手は場所を移している。
普通の人々が平和に生きる世界の象徴ともいえる場所に、コカインを売りさばき、マフィアの手下を半殺しにする連中が巣くっているとは思わない。裏の人間がこの場所に入り込めば、それは花畑の中に突き刺さった鉄柱のように目立つことになる。多数の敵に狙われる少数の人間が隠れるには都合が良い。襲撃を目的として調査したり、集まってきたりする敵の察知が簡単になるからだ。
ただ、彼らを探す側の人間にとっても、標的を見つけるのが簡単になる。私にとってのメリットで、彼らにとってのデメリットだ。
私も彼らと同種の、花畑とは違う世界に住むさびた金属であることを知っているが、表面に花柄を施して花畑の中に溶け込むことができる。
今の格好は暗い色のコートに、えんじ色をしたコーデュロイのズボン、足元はハイカットのウォーキングシューズを合わせている。ウィッグは赤毛をポニーテイルにした。アクセサリーの類は目立ってしまうので身に着けていない。いつも通り、量販店の服それ自体のような人間に装い、普通の人間の中に隠れている。
コートの下にナイフを3本も身に着けて、殺す相手を探しているとは誰も知らない。
標的が人通りの多い雑踏の中に姿を見せることが多いならば、私にとって最も都合がよい。誰かを殺す仕事を請け負っている人間であれば、仕事を実行する現場は人通りの無い場所を選びたがる。銃を使う場合、人目のあるところで取り出せば、それだけで騒ぎになって失敗する確率が高まる。銃声も問題だ。銃口にサプレッサーを装着していても、完全に音が消えるわけではない。
うまい具合に標的を消しても、銃を目撃されたり銃声を聞かれたりすれば、警察への通報と初動は迅速になる。標的に鉛弾を撃ち込む目的は金であり、それを手にしないまま逮捕されては意味がない。銃を使うには、相手がなるべく一人になる場所を選び、そこに到達する必要がある。同業者で有名な――ただし、会ったことは誰もない――“拳銃使い”や、誘拐と拷問が得意な“洗濯屋”はそうやって仕事をする。命を狙われる心配がある者は、彼らを寄せ付けないように、なるべく一人にならないように努めている。
私の場合は彼らとは逆で、標的が一人きりになっている場所はかえって狙いにくい時がある。一人でいるときに、見知らぬ者が自分の方に近づいてくるのに気が付けば、誰であっても警戒する。
だが、周りに人がたくさんいるのが自然な状況ならば、話は別になる。出勤ラッシュ時の満員電車、人がごった返すイベントの日、年末のショッピングセンター、大音響とフラッシュが状況把握を困難にするクラブのダンスホールは、この上なく都合が良い仕事場になる。それらほど人が密集していなくとも、”その他大勢の一人”として、一瞬でも間合いに入ることができれば仕事を十分に終わらせられる。
今までの仕事も、同じような手口で済ませてきたものは多い。
あるときには、出勤して会社に入ろうとする標的とすれ違いざまに、刀身だけにした薄刃のダガーを、肋骨の間に根元まで全部刺し込んで心臓を串刺しにした。ダガーが栓になっているために血はほとんど出ず、刃も体内に埋め込まれてしまっているので、傍目には心臓発作にしか見えない。そして、周囲が慌てている間に私は立ち去ることができる。
別の時は、空港のごった返すロビーを移動する標的の前を通り過ぎざまに、ハンティングナイフで腹を掻っ捌いた。腹圧で飛び出してこぼれ落ちた腸を目にした標的と周囲の人々は恐慌状態に陥る。その間に私は姿を消している。
いずれの場合でも、ナイフを握った手の動きは、周囲の人々や私の体自体が壁になって、誰の目にもとまることはない。そしてナイフは音がしない。内臓を突き刺しても、腹を切り裂いたとしても、周囲に聞こえるような音はほとんど立たない。
このやり方は、私以外の業者では出来ない。それゆえに重宝されている。他ではまねできない技術やサービスを提供できる業者は、どんな分野でも人気があるのだ。
標的が電車に乗ったり、徒歩で移動したりするのが多いようなら都合がいい。そう思いながらカフェのテラスから、標的か護衛の姿を探していると、人ごみの中にその姿が見えた。
標的の部下の片割れ。元陸軍兵士だ。面長で痩せており、身長は190㎝ほど。黒い髪をクルーカットにしている。明らかに周囲から浮いているのが分かる。背が高いことが理由ではない。花畑の中に紛れ込んだ、さびた金属のように、雰囲気が周囲の人々とは異なっている。
私はカプチーノの残りを飲み干して、席から立ちあがった。距離を開けて、人ごみの中をどこかへ向かって歩く元兵士を追跡する。標的のところへ向かうなら一番手っ取り早いが、住処や生活パターンがわかるならそれでも良い。見張っていれば、いずれ本命のところへと案内してくれるからだ。いつまでも相手が現れないなら、その時はこいつの腹を掻っ捌いておびき出すだけだ。
しばらくついていったが、そいつはどんどん人気のない方へと向かっていった。さて、これはまずいことになった。このままでは尾行がばれる。あきらめるか、それとも人気がないのを利用して、あいつを殺るか。
その時、私は自分が見られていることに気が付いた。そんな気配がする。
しばらく歩いていると、元兵士が携帯を出して誰かと話し始めた。一瞬だが、その方に緊張が走ったのがわかった。すぐに元の足取りに戻ったが、警戒心がにじみ出ている。
つまりは、そういうことだ。
リスクはあるが、手っ取り早く済ませることが出来る。
私は何も気づいていない様子で、同じように元兵士の後を追った。やがて相手は裏通りに入り、アパートとアパートの間の狭い路地へと姿を消した。
私は見失っては大変といわんばかりの様子で、後を追って走り出した。いきなり角を曲がって姿が見えないようにするのは、尾行者の有無を確かめる際のオーソドックスな手順だ。素人なら焦って走りだしたり、足を急がせたりする。私もそのようにした。
角を曲がって裏道に入り込むと、8mほど先で元兵士がこちらを向いて立っていた。その横には、探し求めていた標的の姿があった。写真通りの見た目だ。元兵士ほどではないが背が高く、体格は大きい。茶色がかかったブロンドの髪と髭。いかにも冷酷で、人を見下すような雰囲気を持っている。
「ヘイ、姉ちゃん。俺になんか用か?」
元兵士の方が口を開いた。私はまずいところに行き当たってしまった若い女がそうするように、身をひるがえしてその場から逃げるそぶりを見せた。
通りの方を向いた私の目前に、もう一人の男が立ちふさがった。標的の護衛のもう一方、ミドル級ボクサーの方だった。背はそれほど高くないが、肩幅が広く、発達した胸筋がセーターの胸を盛り上げている。尾行中に感じた視線の持ち主で、元兵士が電話していた相手はこいつだ。二重尾行と隘路での挟み撃ち。
そいつが右こぶしを体の前に掲げると、金属の輪が指を覆っているのが見えた。ブラスナックルを握りこんでいる。
そいつが足を踏み出すのを見て、私は演技を続けるべく後退り、標的と元兵士の方を見てから、前後をふさぐ連中のちょうど真ん中あたりまで移動した。
壁――古ぼけたアパートの外壁――に背中をつけて、不安げな表情を演出して左右をあわただしく見回す。追い詰められた弱者の振り。
私の逃げ道をふさいだ3人の男は、3mほどの距離を開けてこちらの正体を目で探っている。下手に近づいてこないのは、こちらが何か武器を取り出した場合への警戒だ。おそらく、元兵士と標的は拳銃を隠し持っているだろう。
「さっき俺の友達――そこにいるマッチョが、後ろから可愛いお姉さんがずっとつけてきてるって教えてくれたのさ。一目惚れってわけでもねえよな? 残念ながら」
「……」
「さて、教えてくれねえかな。なんで俺をつけた? 女の腕をへし折ったり、指を潰したりするのはやりたくないんだ。素直に話してくれよ」
「……あんたがどこに行くか調べたら、お金をくれるって人がいたの」
「そいつは誰だ?」
標的が初めて口を開いた。でかいブルドッグが唸るような声をしている。
「知らない人。広場のカフェで声をかけられたの」
「それで誘いに乗ったのか?」
「最初に500ドルもいきなりくれたの……。写真も撮ってきたらもっとくれるって」
私のホラ話を聞いて、元兵士の方は小ばかにした笑いを浮かべた。
「知らない人の話に乗っかっちゃいけないって、ママから教わんなかったのかい? ちゃんと守らねえから、こんなことに巻き込まれんのさ」
対照的に標的の方は眉一つ動かすことなくこちらを見ている。一瞬、こちらの正体がばれたのではないかと恐れたが、幸いにもそうではなかったらしい。
「何持っているか調べろ。携帯、ID。全部取り上げろ」
「了解」
元兵士が近づいてきて、私の腕をつかんできた。
「ちょっと、やめてよ!」
「黙れ、くそアマ」
私が兵士の手を振りほどくと、裏張り手が私の顔に叩き込まれた。スナップの利いた一発で、目の前に星が飛んだ。
軽く吹っ飛ばされたように見せながら、私は地面に倒れこんだ。頬の内側が切れて、舌に血の味が広がる。
私は呻いて身じろぎし、倒れる際に体の下になるように調整した右手で、左わきの下に収めたダガーの柄を握った。
「ひっぱり起こせ。まだ何か言うなら、腹に一発ぶち込め。ブラスナックルの方の手でな」
「ああ」
標的の指示に従って、ボクサーの方が近づいてくる気配がした。足音が頭の近くまで近づいて、コートの襟首が掴まれるや否や、ものすごい力で上に引き起こされる。
体が引き起こされたとき、私は地面に延びていた足を前に伸ばして踏ん張り、ナイフを引き抜いてバックハンドで振った。
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