会議が終わると、集まっていたメンバーは速やかにそれぞれの受け持つ場へと展開していった。少佐とスタッフはは首相のすぐ近くに。大尉は司令部に使う予定の装甲車。部長は上空を周回するヘリコプター。その他のスタッフは自分が指揮するチームの受け持つ場所へ。私は会場に離れた位置に止められた指揮用のバンへ。
バンの中には通信装置が一式と、それにつながれたコンピューター、各種のディスプレイが備えられ、私の他に2人の社員が乗っている。迅速に移動する必要が出てきた時のために、50㏄のスクーターを横のラックに備えている。
メインに使っているディスプレイには、街の地図と配置されている人員の位置、群衆の様子に加え、注意を要するポイントが表示されている。会議室を後にしてから、私はヘッドセットから流れる無線でのやり取りと、画面の中の人の動きにだけ注意を払い続けてきた。
昼食代わりにビスケットをいくつか食べただけで、後はずっと座り続けている。カフェインは尿意の元になるので、コーヒーも口にしていない。現状では問題が生じていない。あまりに人通りと交通量が増えたせいで、あちこちで渋滞が起きている。事故は起きていないようだが、チームの動きが制限される危険性がある。それが大きな懸念材料だった。
午後に入り、最大の目玉である首相の演説が始まった。可能な限り多くの人が見にこれるように、ラジオやテレビを通して関われるように、彼は演説の時間を昼休みと重なるように設定している。世間の人々にとっての昼休みは、我々にとってのピークタイムとなった。
銃撃を警戒する立場の私にとって、首相が開けた場所に姿を現すこのタイミングが最大の山場になっている。演説中は彼の正面に護衛が出ることはできない。一段高い所にしつらえられた演説台の上に立つ首相は、銃口を向けるのに都合の良い的になる。暗殺者は群衆に紛れて近づくのが容易になり、狙撃手は最も容易なタイミングを得ることができる。
狙撃の訓練を受ける中で私が学んだこと、そしてどの狙撃手も必ず学ぶことは、優れた射手と狙撃手はイコールではないということだ。
たとえ世界最高の銃を手にしたオリンピック級の射手でも、距離がはっきりとわからない状態で、強風と雨の中で数百m以上先の動く的には当てることはできない。
逆に射手の腕が並でも、100m以内の位置に近づいて、距離を1m単位で把握し、無風のタイミングを選べるなら、確実に成功させることができる。どれだけ腕がよくても、不適切な環境では命中させることができない。
狙撃においては、確実に当てられる環境を見出し、セッティングするまでの準備に多くの時間が費やされる。狙撃とは、計画作りと事前準備も含めた作業のことを指す。
撃つ前に自分の銃と弾薬の特性を完全に把握し、どの状況ではどのように弾丸が飛ぶかを知る。気象情報を参照し、どの位置とタイミングであれば飛ぶ弾丸が受ける影響が最も小さくなるかを考える。
そして、最も重要なのが場所だ。自分の持つライフルで撃って届く範囲にあり、武器を持った状態で侵入できる場所かかどうか。射撃を行うタイミングまで見つからないでいられるか。そして、撃った後で誰にも姿を見られることなく抜け出して逃げ切れるか。
狙撃を行う側は入念な計画に基づいてことを進める。そして私は彼らと同じように考えることで、その選択肢を先回りして潰す。良好な狙撃ポイントになる建物は立ち入りを規制し、入口には鍵をかけさせ、窓には雨戸を降ろさせておく。
危険な場所には地上と空中から目を光らせ、不審な動きがあれば私が訓練した狙撃手がそちらに銃口を向ける。モニターに表示されている場所の多くは、私がもし“釘打ち師”の立場ならどこを選ぶかを考えながら、1週間にわたって周囲を歩き回りながら検討した。
奴が世界トップクラスの射撃技術を持ち、なおかつ数多のライフルの中から道具を好きに選べると仮定すれば、警戒するべき場所は相当な数になる。
世界最長の狙撃記録は、2017年にカナダ軍の兵士がイラクの武装勢力相手に実行した3.45kmの狙撃だ。この際には.50口径の対物狙撃ライフルが使われた。次点では2012年のアフガニスタンでオーストラリア軍の兵士が行った2.95km。3位は同じくアフガニスタンで2009年にイギリス軍の兵士が行った2.45km。
ライフルと弾薬、各種技術の進歩によって、狙撃の射程はとんでもないレベルにまで達している。もっとも、19世紀の時点で実戦における1.4kmの狙撃に成功した例もある。高精度なライフルと優れた射撃技術の組み合わせは、信じられないような距離からの殺人を可能にする。
ただし、警備の際にはそこまでの距離を気にしなければいけないケースはほぼない。首相が演説を行うのは街の中だ。イラクのような見通しの良い砂漠でも、アフガニスタンのように遥か彼方まで見渡せる山岳地帯でもない。2kmや3kmも先から見通せる場所がめったにない。
しかし、街中には別種の問題が多数ある。遠くから狙撃が出来なくとも、近づいて身をひそめることができるポイントが極めて多い。カーテンを閉めた部屋の一室で、窓をほんの少しばかり開けて、窓から1m離れた位置で狙撃姿勢を取られていると、外から見ても狙撃手を発見することはできない。
風向きや日射の影響を最小限にして、なおかつ侵入も闘争も容易な場所ということを考えると、場所は絞られてくる。私の行ったことは、そうした場所を探し出し、当日には人が入れないようにして、警備チームを配備することだった。有能な狙撃手ならば、そいつらは私と同じ考えをすることに自信を持っている。
奇妙なことに、私は人殺しが出来ない人間だが、人殺しと同じ考えができる。私は何年も狙撃の訓練を受け、卑劣な悪漢から無辜の市民を守る重要なタイミングに身を置かれてさえ、引き金を引くことが出来なかった。それに対し、“釘打ち師”の様な輩は躊躇なく弾丸を人の頭に撃ち込む。誰かを助けるためでもなく、完全な営利目的で、冷静に計画を立てて他者を殺害する。私が殺し損ねたヤク中野郎とも異なり、完全な正気のままで殺人を実行する。依頼主が虐殺を隠そうとする非道な連中で、殺す対象が多くの人から慕われている男だとしても、そいつには関係がない。
警察にいたころにも、何度かその手の“プロ”の仕業と思しき事件に出くわしたことがある。特に腕利きだったのは拳銃使いの奴で、明らかになっている殺人の中で15件以上がこいつの手によるものではないかと私は考えている。
こいつの場合は接近して拳銃で撃つというシンプルなやり口を取っていたが、撃つ前も撃った後も煙のように姿が消えてしまい、何の証拠も残さない。使う銃も毎回変えていたが、どの角度でも正確に頭の中心部を撃ち抜いて脳を破壊する正確な狙いと、5人以上の武装した相手を反撃も許さず1人で始末する手際の良さは、全て同じ人間によるものだと私は考えている。
当然ながら証拠はないし、尻尾すらつかめないまま迷宮入りしているので、ただの推測に過ぎない。ただ、殺人を請け負う腕利きのプロという物が存在するのは確実だ。他にも夜中に人をさらう拷問屋、ナイフ使いの女、その場にある物を凶器にする奴など、噂や状況証拠からその存在は示唆されている。
私が警戒している“釘打ち師”もそんな連中の一人だ。狙撃の技術に関しては、私は奴の考えをトレースできると思っている。だが、引き金を引く瞬間、殺すという意思の実行に関してはその限りではない。私が一歩を踏み出せなかったあの境界をやすやすと超える連中の心の内を知ることはまずないだろう。
様々なことを考えながら、私は腕時計に目を落とした。首相のスピーチはすでに始まっている。
「センチネル6から各隊へ。定時報告を求む」
10分ごとに、各チームからの定期報告が届けられる。私はそれを吸い上げてまとめ、司令部へと報告する手はずになっている。
応答があってそれぞれのチームから順番に「異常なし」の報告が入るが、P7と名前の付けた学校の近くを警備しているチームのキロ6の番になると、少し違う答えが返ってきた。
『こちらキロ6。異常なし。いや、外国人が……。大柄な中年の白人。バックパックを背負っています。標的の可能性あり。質問します』
その言葉で、バンの中の空気がこわばるのが感じられた。自分の頭髪が軽く逆立つのが分かる。
「キロ6、注意しろ」
『隊員が接触。近づきすぎるな。え……』
応答が途切れた。私は再び呼びかけて送信ボタンから手を離したが、反応が返ってこない。掌に汗がにじんできた。私の全身の筋肉がこわばりに応じるかの如く、周囲の空気が硬く凍り付いていく。
P7はつい1年前に再開されたばかりの短大の校舎だ。小高い丘の上にあり、特に4階からは会場を良い角度で見下ろすことができる。そこを中心として、周辺に小学校と中高一貫の学校が置かれている。学校なので休日の人通りはほとんどなく、建物への侵入も容易になりがちで、警戒するべきポイントだった。距離は約600m。優秀な狙撃手ならば、首相を狙い撃つことができる距離だ。
「ドローンをP7に送ってモニターしろ。近くのチームを半分に割ってすぐに派遣するんだ。タンゴの可能性がある人物を見かけたら即座に捕縛しろ。抵抗した場合は射殺を許可する。絶対に躊躇するな」
端末を操作するオペレーターに命じて、私はモニターをチェックした。あいにく、P7に最も近い位置にいるのはこのバンだった。デルタ3とホテル9のチームが近い場所にいるが、渋滞が起きているせいで遠回りになる。それに、私たちの位置が近いといっても、裏道を行けばの話だ。車では通れない。スクーターを使う必要がある。
「センチネル6よりPC。P7にタンゴ出現の可能性あり。キロ6は無力化された模様。これより確認に向かう」
それだけ言い残し、私は外に出てスクーターにまたがった。警護の計画を立てる段階で、この周囲は嫌というほど歩き回っている。現場までのルートは頭の中に焼き付いていた。本来ならば自分の役目ではないが、他に対応できる人間は良そうにない。狙撃手としてのプロにはなりそこなったが、警護を担当する者としてのプロ意識はある。
『ドローンがP7に到着』
「校舎の窓を全部チェックしろ」
『了解。窓は全て閉まって……。いや、動きあり。中に誰かいます。4階だ』
「タンゴか?」
『確認できない。クソ、窓を少しだけ開けやがった。準備しているぞ』
私は頭の中でチームの配置の様子を再確認した。P7ならば、狙撃班のチャーリー5が対応できる位置に配置されている。
「チャーリー5。4階の窓だ。確認でき次第撃て! 少佐につなげ。ボディガードに首相を避難させるように……」
『チャーリー5よりセンチネル6。情報は確かか? 4階の窓に人影は確認できず。窓は全部閉まっているぞ』
そこで私はバイクを止めた。緊急事態に焦って脳に集まっていた血液の温度が一気に下がっていく。思考が冴えわたり、心が平静に戻った。
「チャーリー5、本当か? P7の窓は全て閉められているか?」
『センチネル6。その通りだ』
「ドローンからの映像はどうなっている」
『P7は窓が閉まっていますが、隣の建物で動きがあります。誰かいるのは確実です』
そこまで聞いて、私は笑い出しそうになった。なるほど、そういうことか。バンのオペレーターは有能だが、狙撃の専門家ではない。暗殺者が現れた危機に集中して、別のことを見逃していたようだ。
『センチネル6。何事だ? 首相の避難か? すぐに……』
「必要ない。シエラ1、命令は取り消しだ。首相の避難は必要ない」
ボディガードに命じようとした少佐の言葉に被せる形で、私は命令を取り消した。
『センチネル6、タンゴが現れて準備をしているんだろうが? 何をぬかして……』
通信に部長が割り込んできてがなるが、私は聞き流した。
「大丈夫だ。奴は撃たない。撃てないんだ。ドローンを少し遠ざけて、監視だけ続けさせろ。タンゴから目を離すな。奴はすぐに移動を始める」
『何考えて……』
『……センチネル6。タンゴの発砲は確認できず。いや、動き始めました。窓から離れて……、いなくなりました』
そこまで聞いて、私は再びスクーターを走らせ始めた。考えた通りだ。まだ余裕がある。奴は撃てない。あそこからでは撃てないのだ。
「ドローンを近づけすぎるな。気づいていないふりをして、奴をその場所にとどまらせておけ。そいつがそこにいる限り、首相は安全だ。応援は急がせろ。できれば生かして捕らえたいが、無理なら銃撃戦になる」
私は再びスクーターを走らせた。“釘打ち師”は間違いを犯した。おそらくはそれに気づいている。修正しようと思っても間に合わないとだろうが、念のために足止めは必要だ。
目的地に近づいた私は、奴に聞かれないように50m手前でバイクを降り、全力で走ってP7に向かった。まだ余裕はあるはずだが、急がなくてはいけない。
腰に付けたホルスターから、テーザーを取り出して状態を確認する。高圧電流で対象を麻痺させるスタンガンの一種で、窒素ガスでワイヤー付きの針を飛ばして、離れた相手に電撃を食らわせることも出来る。いざというときに人を撃てない私は、銃の代わりにいつもこれを使っていた。バッテリーは満タン。針とガスが封入されたカートリッジも入っている。
筋骨隆々の大男であっても、こいつを食らえば問答無用で動けなくなる。だが、射程は5m程度だし、2回しか撃てない。相手は間違いなく銃を持っているだろう。まともに戦えば勝ち目はない。応援が来るまではもう少しかかる。今のところ、対処できる人間は自分だけになってしまった。
だが、勝算はあった。奴は焦っている。絶対に焦っている。数分前の私とは比べ物にならないほど焦っているはずだ。それが分かる。そして、ほぼ確実に間に合わない。あいつがもう一度ライフルを構える前に、首相は演説を終えて退場する。
すぐに私は目的地に着いた。何度も行き来した短大の校舎。植民地時代の宿舎をそのまま転用しており、敷地は狭い。入口を確認すると、しっかりとシャッターが閉まっていたが、南京錠を乱暴に壊そうとした痕跡があった。窓に関しても、私が指示したので、雨戸は全て閉められてカギがかけられている。
1階の入り口も窓も閉まっているとすれば、入りたい奴はどこに向かうか。上の階だ。たいていの建物は、1階に雨戸があっても、2階はないケースが多い。
非常階段は少し遠い。代わりに雨樋からつながったパイプが上から地面まで伸びている。そっと近づくと、壁に沿って付けられた白いパイプをよじ登って、2階に到達せんとする人間の姿があった。バックパックを背負った大柄な男。まさか、こんな形で合うことになるとは思わなかった。
奴は焦っているせいか、地上から近づいてくる私の存在に気付いていない。動きこそ身軽だが、大男が必至でパイプをよじ登っている姿を下から見るのは、いささか滑稽だった。私はテーザーをホルスターから抜いて狙いを付け、そいつがまだ射程内にいるうちに声をかけた。
「首相が見たいのか? もう遅いぜ。あきらめな」
パイプにしがみついた男の背中がぎくりと震え、慌てて振り返って私の方を見た。帽子をかぶっていささか日焼けしていたが、まぎれもなくあの“釘打ち師”の顔だった。困惑と驚愕の表情が浮かんでいる。
そいつは即座に私が何者であるのかを察したらしく、驚くほど素早い動作で腰に手を伸ばしたが、すでに構えて狙いまでつけていた私の方が速かった。
引き金を引くと非常に軽い音と共に二本の針が飛び出し、“釘打ち師”の太ももに浅く刺さった。銅のワイヤーを通じてテーザーの本体から高圧電流が流されると、“釘打ち師”がパイプにしがみついたままガクガクと震える。すぐに抜け殻のようにパイプから離れ、あまり聞こえがよくない音と共に地面に激突し、それきり動かなくなってしまった。
いつでも2発目を食らわせられるようにしながら近づくと、倒れた“釘打ち師”の頭のあたりからかなりの量の血が地面に広がっていくのが見えた。注意しながら頸動脈に触れてみたが、脈拍は止まっていた。
それほどの高さではなかったし、あの図体とバックパックで何とかなるとは思っていたが、打ちどころが悪かったようだ。国際的な悪事を隠蔽するべく、一国の首相を暗殺するべく派遣された恐るべき殺し屋は、パイプから落っこちて死亡した。
この上なく間抜けな結末だ。どっちにしても奴の仕事は失敗していた。仮にここで生き延びたとしても、間抜けの称号は不動だ。
「センチネル6からPC。タンゴを無力化。危険なし。収容チームを要請。シエラ1、警備に警戒態勢の維持を継続させろ」
無線を司令部につなぎ、容疑者の有様を報告した、少佐と部長がいろいろと尋ねてくるが、細かいことは後で報告することにして、首相や他の閣僚の警備を続けさせた。
『PC。フェイズ4完了。警備体制をパターン4に移行せよ。経路上に障害無し』
首相の演説が無事に終了したとの報告が入り、同時に応援を乗せた車のエンジン音が聞こえてきた。
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