食事を終えた私は、仕事先へと向かった。警察署として使われている、旧植民地時代に立てられた大きな建物。受付に挨拶してIDカードを提示し、2階にある“スタッフルーム”に顔を出す。今回の遊説に当たって、スタッフがオフィスやミーティングスペースとして使用するために貸し与えられている。ここでは入口とは別にゲートが用意され、ガードマンとIDカードリーダーが用意されていた。首相の安全に関わるので、機密のレベルは他よりも一段階高い。
このスペースの中は、首相の周辺のスタッフ、警護を担当する軍警察の士官、私が属する会社の社員で占められている。内戦からさほど時間が経っていないこの国では、人材の不足が常に問題として付きまとっている。内戦の間に優秀な官僚やまともな軍人が育つ余裕はない。そこで外部から“顧問”を雇い入れ、不足する人材の補填とノウハウの吸収を行わせている。私の会社は、そうしたサービスの提供が業務の一つだった。内戦終結時の武装解除・動員解除・社会復帰業務を国連から請け負って以来、会社はこの国と付き合っている。
自分の机に行き、カギをかけた引き出しからタブレットを取り出して会議室に向かう。昨日の深夜まで確認し続けたデータが入っている。
会議室にはすでに主要なメンバーが集まっていた。警護を担当する軍警察の少佐、大尉、先任曹長。首相のチーフスタッフと補佐官、市役所の職員、会社の各部門の担当職員。私の上司である部長。
「さて、全員揃いましたな。ちょっと早いですが始めますかね、少佐」
上司である部長が少佐に促し、部屋を暗くしてプロジェクターを起動する。壁にこの街の市街地地図と、タイムスケジュール、移動経路などが投影された。この国では英語とフランス語がつかわれており、それぞれの通りや建物にも、全て英語とフランス語で2つの名前が付けられている。おかげで少しややこしい。常に両方が併記されていればよいのだが、まだ復興していない区画や古いまま残されている看板などでは、どちらかの名前しか書かれていないことがある。特に、綴りが全く同じでも、英語とフランス語で意味が違う単語があったりする。意外にも地元の人間は困っていないようだが。
少佐が街の地図を背中にして立ち、手を打ち鳴らした。
「よし、諸君。今日はこれまで以上の大舞台だ。絶対に何事も起こさない」
自分が“人を殺せない”人間だと気づいた私は、部隊を去って警備課へと籍を移した。人を撃つことはできないが、射撃の技術を知る者は銃を使った犯罪の捜査に役立つ。人殺しの技術を“正しく”使えなかった私は、“間違った”使い方をする人間からの防衛や捜査へと鞍替えした。表向きの理由は犯人の射殺で抱いたショックと、人質の負傷に対する責任を感じたこととなっていたが、実際は自分が“いざというときに撃てない奴”だと知ったからだ。
ネイビーブルーの制服を着ることがなくなった私は、銃器犯罪の捜査、狙撃に対する警備・警護のアドバイス、銃器取り扱い指導を自らの役割として、20年ばかりを警察で過ごした。技術を鈍らせないために射撃そのものは続けていたが、それを実際に使うことはなくなっていた。おそらくこのまま定年まで過ごし、引退後は射撃場に居座って適当にライフルを撃つ、退屈なジジイになると思っていた。
だが、そこで予想していなかった事態が起きた。先に退職して民間の会社に転職した警部補――かつて私の代わりに犯人を撃った観測手で、今では部長になっている――から引き抜きの誘いが来たのだ。
仕事の内容は、いわゆるセキュリティコンサルタント。一般の企業でのデータの漏洩やハッキングへの対処ではなく、実際に危害を加えてくる者から依頼主の身を守るためのアドバイスをする。
引き抜きを持ち掛けてきた会社では、あらゆる物理的な危害から依頼主を守るための人材を囲っていた。強盗、誘拐犯、爆発物でのテロ。それらから身を守るにはどうすればよいかを指導し、提案し、時には直接の警護に参加する。民間軍事企業とも呼ばれる分野にも近い。私が誘われた理由はもちろん、対銃撃コンサルティングの人材が必要とされたためだった。
誘いを聞いてからは少々迷った。給料は警察よりもはるかに良かったが、若造のころもそうやって誘いに乗ったがために、後悔することになったのではないか?
だが結局、私は誘いに乗って警察を辞した。新しいキャリアを見つけてもよい気分もあったし、警察では後進が育ってきていたので役目が終わりつつあることを感じていた。
それから5年というもの、東ヨーロッパ、旧ソ連衛星国、南米、中東、南アフリカ、南アジアと、世界中を転々としながら、銃撃から身を守る術を教えて回った。撃たれる危険性がある人物自身にレクチャーすることもあれば、それを守るボディガードに警護の方法を説くこともあった。外国の警察に狙撃の技術を伝えることもあった。
新しい世界は刺激的だった。よかったのかどうかはわからないが、今のところは後悔しないでいることが出来ている。
会議室での打ち合わせにおいて、最大の懸念事項は首相の安全確保だった。内戦の終結に貢献し、復興と発展に粉骨砕身して結果まで出している誠実かつ有能な男。民衆から支持され、国際社会からの評価も高い。
それゆえに、彼には敵が多く、命の危険にさらされている。何かを変えようとするのであれば、常に敵が生じる。変化させる内容が、多くの人にとって良いものであれ、悪いものであれ、敵は絶対に生じる。
かつて仕事でかかわった実業家はこう言っていた。敵を作ったことのない者は、今まで何一つ成し遂げたことがない人間だと。そういう意味では首相も敵を持つ人間だった。
官僚と軍部がこちらの会社と契約を結んだのは、まだ内戦の傷が治りきっていない国において、首相と社会を守る力がすぐに必要だったことに理由がある。
主な敵は内戦に血路を挙げていた民族主義・宗教原理主義に首まで浸った過激派の連中。お山の大将を務めていた自分たちの武装組織が解体され、従えていたはずの兵力が普通の生活に戻っていってしまったことに歯ぎしりしている。未だ頑張ってジャングルでゲリラを続けようとしている輩は、うちの会社に訓練を受けた国軍によって狩り出され、ひっとらえられて社会に戻されるか監獄に入れられるかしている。そいつらにとって、首相は世の中のすべての害悪の代表者だった。何しろ、自分たちがふんぞり返っていた猿山を崩してしまったのだから。
当然ながら、そいつらの動向は常に追跡が続けられ、主だったメンバーや関係者の顔や行動履歴は警備チームに周知されている。戦力や技術は二線級レベルだが、自爆のようないかれた手段を取ってくる危険もある。
だが、首相の敵は元お山の大将だけではない。まだ十分に開発されていない段階にあるが、この国は鉱物資源が豊かだ。旧植民地の時代に、すでにコルタンや錫、タングステン、金の鉱脈が確認されている。内戦において武装勢力はそうした鉱物を資金源にしていた。村を襲撃して人をさらい、鉱山で働かせて手に入れた資源を外国へ売り、その金で武器を買う。いわゆる紛争鉱物だ。
奴隷を使って環境対策も安全対策もせずに掘らせているので、まっとうな鉱山由来のものに比べると価格が安い。利益に魂を売って倫理観や常識を忘れた企業はこぞって買い付け、それを肥やしに内戦はいつまでも続いていく。その悪循環が問題視されたおかげで、現代では紛争鉱物はマーケットから締め出され、売る側も買う側も国際社会から制裁が加えられるようになっている。
それでもこっそり売ろうとするやつも買おうとするやつは後も絶たない。首相は経済発展のための資源開発と並行して、過去のそうした違法な採掘を洗い出そうとしている。当然ながら売る側だった武装組織は過去の悪行がさらに洗い出されることになるのだが、買う側にとっても都合が悪い事態になっている。汚い手段で掘り出された資源を格安で買ってほくほくしていた企業は、消したい過去が暴かれてしまう。
まだ確定していない情報だが、ある鉱山会社は内戦中に武装組織と提携して、タングステン鉱山になりそうな場所にあった村を“どけさせた”らしい。もちろん立ち退き交渉などあるわけもなく、銃弾と鉈で始末をつけた。それが1回ではなく、いくつもあったとかいう話まで出ている。
これが本当なら、その企業は紛争鉱物の取引どころか、虐殺にまで手を貸したことになる。これが表ざたになると化される制裁はスキャンダルどころではない。
そうなると、連中はどう考えるか?
商売のためにテロリストもどきと手を組んで、村の一つや二つなら躊躇なく潰してしまうような輩なら、小国の首相ぐらいなら消してしまおうと考えてもおかしくない。実際にやった後は、首相を恨んでいる武装組織の仕業ということにすればよい。むしろ、利害が一致しているので、進んで協力するだろう。
はっきり言えば、こちらの方が武装組織の連中よりもよほど厄介だった。国内にいないので動きが読めない。実際に首相を狙ってくるかどうかはわかっていないが、武装組織側に外国からの接触があったとの情報も入っている。そして、何よりも金と豊富な人材のプールがある。ジャングルの中で素人相手にAKを乱射していた山賊もどきではなく、より高度な教育と訓練を受けたプロを送り込むことも出来るのだ。
高度の技術を持つプロを金で雇う。守る側と襲う側の違いはあれども、この国が我々を雇ったのと同じことをしてくる危険は高かった。
会議室では、スケジュール、人員配置、警備体制、注意点の最終確認が進められている。注意しなければいけない点はいくつもある。首相の移動経路、待機室、車両、会場。いかなる場所にも不審な人物、不審な物は存在を許さない。もしも襲撃者がいた場合は警護の人間はどう対応するか、首相をどう逃がすか。うちの会社のスタッフが、警護官たちに叩き込んでいる。
爆発物の危険性も見逃せない。移動経路や会場に爆弾が隠されている危険性。仕掛けられるとしたらどこが危険か。そのあたりの対処は軍の工兵部隊にいた社員が担当している。数日前から撮影機材を積んだドローンを飛ばし、移動が予定されている経路上に不審な動きがないかを常に見張り続けている。今のところ不審な動きはない。ドローンで爆発物を送り込んでくる可能性も考慮し、こちらが使うドローンには対ドローン用の投網発射装置を備えさせている。
爆弾についての確認が終了すると、私が銃撃について説明する番が来た。
現代でも昔でも、暗殺事件は世界中で発生しているが、最も多いのは至近距離から拳銃で撃つやり方だ。標的が一人で歩いているところ、あるいは油断しているところに拳銃を隠し持って接近し、十分近づいたところで無造作に複数発を撃ち込んで殺害する。シンプルだが確実性が高く、銃以外は特殊な道具が必要ない。少人数で行えるので足取りもつかまれにくい。
こちらについては警護官が対処の要となる。首相には一切誰も近づかせない。万が一に銃が取り出されれば、彼らは文字通り盾となって首相をかばってもらう。ボディアーマーを支給しているので拳銃程度ならば死の危険性は低いが、手榴弾を投げ込んでくる危険性もある。その場合は、警護官にはその上に身を投げ出して爆発を抑え込んでもらうことになる。人間が上にかぶされば、手榴弾の爆発による被害を完全に抑え込めることは、過去から現代にいたるまでいくつもの戦争による事例から証明されている。警護官たちの首相への忠誠心は非常に高いので、彼らは躊躇なく身を投げ出すだろう。
もちろんそんな事態になれば最悪なので、会場に入る人間には金属探知機と爆発物検出機をくぐってもらうことになっている。理想を言えば空港に設置されているような後方散乱X線検査装置やミリ波パッシブ撮像装置が欲しかったが、予算の関係から無理だった。
ボディガードが付いていても、集団で襲撃して自動火器でボディガードごと射殺してくるケースもある。対処するために、完全武装した2個歩兵小隊を会場周囲に隠して配置させ、ドローンで周囲の人間の移動を常に監視させることになっている。移動に使うリムジンには可能な限りの防弾装備を施したうえで、前後を装甲車で護衛させる。交通規制も敷いて、対戦車ロケット弾対策として移動経路沿いの建物にも目を光らせる。
警護官を訓練するにあたって口が酸化するほど酸っぱくして繰り返してきた対処の手順を言って、最後に狙撃対策について話を進めた。
実際のところ、長距離からの狙撃による暗殺というのは数が多くない。アメリカのケネディ大統領暗殺事件が有名だが、あれはかなりのレアケースだ。長距離からの狙撃は至近距離から撃つよりも高度な技術が必要で、確実に成功させるのは難しい。だが、使われたことがないわけではないし、一般的に公になっていない事例――特殊部隊の極秘任務では好んで使われている。特に今回は、非常に気を付けるに値するだけの情報が入っている。
私はタブレットを操作して、プロジェクターにある表示させた。40代後半の白人男性の顔。力強い顎と、白髪の混じる短く借り上げたくらいブロンドの髪。バストアップの写真だが、それだけでもかなり頑丈な体格をしているのが分かる。酷薄そうな顔に、強くすがめられた目をしている。狙撃手の目だ。
「前回も話したが、この男に注意してもらいたい。想定されているポイントに接近する者がいた場合、すぐに呼び止めて確認しろ。この男の特徴が当てはまっていた場合は、即座に撃てる態勢を整えておけ。絶対に一人で対処しようとするな」
これが今回の警備で最も注意するべき相手だ。
本名は不明。未確認の情報だが、出身は南アフリカで、国防軍の特殊部隊旅団、通称“レキ”に所属していたらしい。除隊後はフリーの殺し屋として、南米、中東などで、最低でも8件の殺人を実行したとされる。実際に行った数はその数倍になるだろう。シリアでは対物狙撃ライフルを使って1.8kmの狙撃を行い、クルド人の狙撃手を仕留めて賞金を受け取ったという噂だ。
射撃が300m以内の場合は、確実に頭を撃ち抜いている。そこでついたあだ名が“釘打ち師”。人の頭に弾丸を釘のようにぶち込む男という意味が込められている。
この業界の横のつながりで、あまりに危険な人物については可能な限りの情報が回されるようになっている。PMCはあくまで合法なビジネスで、それゆえに国や国連、企業から仕事を受けることが出来ている。殺し屋や国際法で禁止されている傭兵と同じ扱いにされると、業界全体のイメージダウンにつながる。
この“釘打ち師”もそんな危険な輩の一つで、動きに注意が払われている。私がこの国の警備コンサルティングに動員されたのは、紛争鉱物に関する黒い噂のある企業が“釘打ち師”に接触したとの情報がもたらされたのが理由だった。
狙撃手から人を守るには元狙撃手の知恵が要る。
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