氷川省吾
目を覚ますと、いつも通り白い天井と緩やかに回転するシーリングファンが見えた。枕もとの時計を見ると、まだ6時になっていなかった。昨日寝付いたのは3時頃だったが、今はもう目が冴えてしまっている。年を取ってきたということだろうか。
仕方がなく身を起こし、カーテンを開いた。すでに日は昇っており、鋭さを伴った日差しが飛び込んでくる。日光に照らされ、19世紀につくられた旧市街と、2年前から新しく作られ始めた建物が混じった街並みが並んでいた。
ここはアフリカの某国。今は乾季が始まったばかりだが、冷房が効いた室内にいても、これから昇ろうとする太陽がもたらす光の強さが分かる。この国は4年前まで内戦が続いていた。それを示すかのように、歴史ある建物の壁には弾痕や砲撃で崩れた部分が残っている。内戦が終結した現在は急速に復興を果たし、傷を治そうとするかのように新しい建物が作られ、古い建物には補修の手が入っている。
私がこの建物に来たのはおおよそ半年前。何度か国内を移動し、そのたびにホテルをあてがわれて、毎朝似たような光景を目にして目を覚ましてきた。そして、今日の仕事が終われば、1か月以内に離れる予定になっていた。順調にいけばの話だが。
”君は人殺しが出来るか?”と聞かれて、イエスと答えられる人間は多くはないだろう。普通は出来ないと答えるし、実際に出来るとしてもノーと答えることが多い。
いざとなったときに出来るかどうかといえば、イエスかノーかは半分ぐらいに分かれるかもしれない。例えば自分が殺されそうなとき、大事な人や仲間、あるいは無辜の市民が殺されそうなとき。そんなときに、殺しに来ている奴を殺してしまうことはできるかもしれない。
実際のところ、殺せるはずだと考えても、いざとなったときに体が言うことを聞かない場合も多い。人生の中で植え付けられた倫理からくる抵抗感は、人が自分で思っているよりもはるかに強い。
前線で敵と対峙する歩兵や犯罪者と対峙した警察官は、こうした状況に置かれやすい。何しろ相手は暴力に訴えかける気満々で、自分や仲間、無実の市民の命を守らないといけない。特に兵士の場合は、突発的な戦闘でもひるまず撃って戦えるように訓練される。躊躇すると自分が死んでしまうのだから。
この場合、彼らが意識するのは撃つ、あるいは戦うことだけだ。殺害はその行為の結果に過ぎない。
こうした歩兵や警察官の中でも、突発的に撃つことがない例外的な存在がいる。狙撃手だ。高性能なライフルにスコープを搭載し、何百m先、時には1㎞を超える距離から標的に弾丸を送り込む。
普通の兵士は眼前の敵を撃つときにいちいち考えたりはしない。躊躇は命取りになるからだ。
それに対し、狙撃手は撃つ前にたっぷりと考える。距離と風向きから弾丸はどのように飛ぶか、相手のどこを撃つか、どの順番で撃つか、いつ撃つか。相手は仲間や市民に危害を加えようとしている最中かもしれないが、何もしていない時かもしれない。自分が撃たれるとは欠片も思っていない相手に向けて、たっぷりと考えた末に顔を見ながら弾丸を撃ちこんで始末する。
猶予を許さない危機的な状況で、防衛や戦闘のために撃つのではなく、冷静な状態で殺すために撃つ。それが他の警官や歩兵とは大きく異なっている。
狙撃手は“人殺しが出来るか”と聞かれた時にはイエスと答えるだろう。戦いの結果として相手を死なせるのではなく、一方的に殺すことがその役目だから。
シャワーを浴びてからホテルを出たのは7時直前だった。もう日差しはきつくなり、石造りの道からの照り返しが肌を焼くのを感じた。道を車やオートバイ、自転車が走っている。露店を並べる者が檻、店のシャッターを開ける者もいる。4年前には考えられない光景だっただろう。下手にシャッターを開けようものなら略奪にあったし、道路を歩けば銃弾や迫撃砲弾の巻き添えを受けかねなかった。
その様子を過去の物にしたのが、現在の首相を務める人物だった。今日は内戦の終結が宣言された記念日にあたり、彼の演説がこの街で行われる予定になっている。もちろん彼だけでなく、国内外の多数の人間が関わっている。そして、私が属する会社もそれに貢献している。
今月は彼が国内各所で遊説を行い、今日は最終日になる。彼の安全を守り、演説を成功させ、後を託せるほどに軍警察の警護能力を向上させること。これがこの国で行う私の最後の仕事になっている。
5分ほど歩き、私は行きつけのカフェに入った。この街に来てから、毎朝の朝食はこの店で取っている。この店のコーヒーが一番うまかったし、ウェイターが誠実な男だというのが大きかった。釣り銭はごまかさないし、注文の取り方とおすすめのメニューに品が感じられた。
「おはようございます、ムッシュー」
店内は早くも半分ほど埋まって、誰もかれもが注文をしているせいで忙しそうだったが、ウェイターはすぐに席に案内してくれた。この国はかつてベルギーの植民地で、第二次大戦後からは英語を導入していた経緯がある。そのせいで、現地の言葉とフランス語と英語が使われている。たいていの住人は、地元の言葉と英語かフランス語のどちらかが話せるバイリンガルだ。ウェイターは英語もフランス語も使えたが、カフェの店員っぽいという理由でフランス風の呼び方をすることにしている。
私のことは「首相と関わる仕事をしている」とだけ話をしたが、それだけで彼は私に対して恭しい態度を取ってくれた。最初の内は少しばかり心づけを渡そうとしたが、彼は辞退した。それほどまでに首相は人気がある人物だった。
5分ほど待つと、朝食が運ばれてきた。朝のメニューはサンドイッチとコーヒー。具はニンニクと玉ねぎを入れたオムレツと、スパイスで味付けした鶏肉の2つ。コーヒーはモカで、スパイスで味付けをしている。材料は全てこの国で生産されたものだった。店が新鮮な材料を使った食事を出せるのは、産業と流通が安定している証ともいえた。首相の功績はサンドイッチにも表れている。
「今日は忙しくなりますね」
伝票を出しながらウェイターが言う。
「そうだね。君も見に来るんだろう、演説を?」
「もちろん。まあ店があるから、見に行けるときは良い場所は埋まってしまっているとは思いますが、やっぱり見に行かないと。では、ごゆっくり」
ウェイターが仕事に戻るのを見届け、私はコーヒーで口を湿らせてからサンドイッチにかぶりついた。彼の言う通り、今日は忙しくなる。食事はしっかりととらなくてはいけない。
“君は人殺しが出来るか?”。その問いに対し、私もかつてはイエスと答えた。正確には答えられると思っていた。
もうずいぶんと前にはなるが、私も狙撃手だった。10代の終わりに警察学校を卒業し、3年経った直後に特殊部隊員選考に応募した。動機は単純な冒険心と功名心だった。ネイビーブルーの戦闘服に身を包んで、ヘルメットとフェイスマスクで顔を隠した戦士。サブマシンガンを携え、室内に突入して凶悪犯を制圧するその姿は、まだ若い私にとっては強烈な憧れの対象となった。純粋に格好良いと思っていた。
選考と2週間の選抜訓練を通じて15倍の倍率を通り抜けた私は、ライフル射撃の点数から狙撃訓練コースを勧められた。バッティングラムとフラッシュバンを使って室内に突入するチームにも憧れは残っていたが、同時に“スナイパー”の響きも甘美だった。
人質の頭に銃を突き付けていたり、爆弾のスイッチに手をかけていたりする連中。そいつらの脳幹を一撃で撃ち抜いて、指一つ痙攣させることなくあの世へと送り込んで事件を解決する。
大して迷うこともなく私は狙撃訓練コースへの参加を選択し、2か月にわたって軍の射撃訓練場で遠距離の目標へと正確にライフル弾を撃ち込む練習を続けた。云わば、狙撃カルトの導師見習いといった具合だった。
そうやって800m先から確実にダミーの頭部に風穴を開けられるようになった段階で、私は晴れてスナイパーとなった。
最初に出動したのは、嫁に浮気をされた哀れな男が、拳銃を持ち出した奴の事件だった。使い込まれた貯金で買われた車の中でいちゃついていた浮気嫁と間男のところに乗り込んで、そのまま車の中で立てこもり事件に発展してしまった。裏切られて爆発してしまったとはいえ、元は生真面目で誠実だった男は、説得に応じて人質――浮気嫁と間男を早めに解放したが、拳銃は持ったままで車に閉じこもり続けた。
逮捕するにも保護するにも、狼狽して自暴自棄になっている状況では危なすぎる。近づいてくる相手ではなく、自分の頭に弾を撃ち込みかねなかった。
立てこもりの段階で出動して狙撃位置についていた私は、その男が不倫二人組を解放してからもずっとスコープ越しに見続けていた。そうして彼が自分の頭に銃を向けた時、私はライフルを撃った。
撃ち抜いたのは彼の頭ではなく、持っていたリボルバーのシリンダーだった。弾薬が収まっている部分をピンポイントで吹き飛ばせば、一瞬で銃は役立たずになる。着弾の衝撃で暴発する心配もない。
60mの距離から車のガラス越しに、縦横3㎝程度のサイズしかないシリンダーに一発で命中させるのは緊張があったが、無事にやり遂げることができた。初出動した警官が行った初の狙撃にしては良くやったといえるだろう。
その後も幾度か出動する機会があったものの、発砲することは全くなかった。かの銃器大国アメリカでさえ、警察の特殊部隊が発砲する機会は年2桁に収まっている。
狙撃手となってから2年が経った時に節目が訪れた。銃を持った男がショッピングモールで銃を乱射し、2人を殺害して8人を負傷させた。警官が駆け付けた時点で3人を人質に取り、さらに発砲して人質の1人に重傷を負わせた。
交渉担当役が呼びかけるが、ヤクをかなりキメているらしく返答が支離滅裂で会話が成り立たない。いつ残りの人質を殺すかわからず、負傷した人質を放っておけば死ぬ危険性が高い。射殺命令が出るまでに30分もかからなかった。
それは、まさに私が夢想していた瞬間だった。凶悪犯の頭を撃ち抜いて人質を救う。その時の距離は90m。天気は曇りで無風。銃はドイツ製の優秀なスコープを搭載した高精度なボルトアクション式のライフル。装填しているのは競技用級の7.62mm弾。経験豊富な観測手の巡査長。私の腕ならば、絶対に外しようのない条件だった。
狙うのは相手の顔の正面。鼻梁を貫いて、脳の中心付近にある脳幹を破壊する。指を動かす信号は外に出ることはなく、脳の中に閉じ込められたままになる。
何ら問題はない狙撃だった。だが、できなかった。失敗したのではない。引き金を引けなかったのだ。犯人の顔を正面から見た瞬間、引き金にかかった私の指はそれ以上後ろに下がらなくなった。あと数mmの距離を前にして、私の人差し指は硬直した。
スコープ越しに見た相手の顔は、一目見てクソ野郎だとわかる面だった。ヤクをやっているせいで目が吊り上がり、そのくせ口はひん曲がって下劣な笑いを浮かべている。そいつは楽しんでいた。人質の頭に銃を突きつけ、指一つでその命を奪える状況に酔いきっていた。
指一つで命を奪える状況にいたのは私も同じだった。奴は知らないだけだが、私があと数mmほど人差し指を動かすだけで、発射された弾丸は超音速で鼻を貫いて頭蓋骨の中に飛び込み、脳をシュレッダーにかけたような有様にして後頭部から飛び出しただろう。
事態は急を要していた。犯人はすでに2人殺し、人質は3人いる。奴にとっては、生殺与奪を握って楽しむおもちゃが3つあることを示していた。そのうち1つぐらい消費しても構わないと思うだろう。人質の命は、奴と私のどちらの方が引き金を引くのが早いかにかかっていた。
だが、私は撃てなかった。本部からの指令を受けた観測手が、私に発射の命令を下してから5秒経過した時点でも、最後の数mmを踏み出すことが出来なかった。
私が撃とうとしているのは、無辜の人々を傷つけ、殺そうとしているクソ野郎だった。だが、人間の姿をしていた。それで私は撃てなくなった。
その時のことは今でもよく憶えていて、時々夢にも見る。射撃命令が出てから5秒経ち、異常に気付いた観測手の質問に、私は「撃てない」と答えた。嘘偽りなかった。この時のために訓練を積んできたのに、私は撃てなかった。
その一言ですべてを察した観測手は即座に双眼鏡を置いて、予備のライフルを構えて発砲した。直前まで距離や風向きを観測していた巡査長の照準はほぼ完璧だった。観測手は狙撃手よりも狙撃の経験が長い人員が担当する。
彼の放った一撃は正確にクソ野郎の顔のど真ん中に命中し、予想していた通りの死をもたらした。彼の前職が陸軍で、実戦への参加経験があるのが幸いだった。
だが、誤算があった。彼が発砲したのは、私が指令を受けてから15秒後だった。その間に犯人の脳みそは引き金を引く決断を下し、弾丸が頭に飛び込んだ瞬間に、奴の銃から弾が飛び出てしまっていた。
不幸中の幸いだったが、着弾の衝撃が犯人の腕を上にずらし、人質は頭頂の皮膚と骨をすこし削られただけで済んだ。
結果だけ見れば、警察の精鋭特殊部隊が狙撃によって犯人を射殺。負傷者が出るも人質は全員無事、となった。ただ、実態がそうでないことは、私と観測手だけが知っている。
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