氷川省吾
シティホテルのエントランスホール。吹き抜けの天井には大きなシャンデリアがつるされ、柔らかい色の光で下の空間を満たしている。私は周囲をざっと見回した。客は親子連れ、カップル、スーツ姿のビジネスマン。
探している相手は見つからなかったが、最初から期待はしていない。こんなところにのこのこ降りてくるはずもないのだ。
空港からさほど遠くない所にあるシティホテル。それなりに高級で、これと言って特徴はないが居心地は良いはずだ。マフィアから金を奪って逃げている連中が、ひとまずの逃げ場として選ぶには、まあ悪くないだろう。
私がこれから尋ねようとする相手は、金を強奪した下働き2人と、彼らに声を掛けられた街のチンピラ4人。計6人。全員男で、年齢は20代半ばから30代半ばまで。名前は知っているが、面倒なので年が上の順からA~Fの名前で呼んでいる。
このような場所は今まで縁が無かったはずなので、来た時はさぞかし浮いていただろう。それゆえに見つけやすかったのだが。
居場所は既に知っている。ホテルの最上階にあるスイートルーム6部屋。手に入れた金で豪華にやっている事だろう。私はこれからそこにお邪魔するのだが、その前に少しやる事がある。
私は事前に頭に叩き込んでいたホテルの構造を思い出しながら、目的の場所に向かった。レストラン――の厨房に続くバックステージドアだ。
マフィアが泥棒にちょろまかされたのは、彼らが主催する違法賭場の稼ぎ。現金にして2千万ドル。もちろん番号も繋がっていないバラ札だ。マフィアはこの収益金を地下銀行に預け、違法でない事業に投資することで、違法賭場の稼ぎを“汚くない金へ洗浄”する。
だが表ざたに出来ない大量の現金であるということに、目をくらまされたバカどもが居た。賭場での上りが一旦集計されて、ひとまとめにして防弾の集金車で運び出されようとした時、下働き2人と彼らの手引きで侵入したチンピラ4人が銃を持って踏み込んできたのだ。
その際にバカの1人がパニックになって、切り詰めた散弾銃を発砲した。散弾を頭に食らった会計人の1人が死んで、片肺を吹き飛ばされたもう1人が重態に陥った。気の毒なことに、彼もほどなくして死んでしまったが。
そのままバカどもは金を強奪すると、地元から脱出して飛行機で違う国に逃れた。やばいことをやらかしても現場を遠く離れる事が出来れば、大抵は一安心だといえる。
だが大事な儲けを掠め取られたあげく、それなりに忠実な手下を殺されたボスは怒り心頭に発していた。おまけにボスの頭は三下どもが考えていた以上によく切れた。
ボスは知らせを受けた一時間後には、目撃証言を集めて犯人の目星をつけていた。そして、調査会社と組織のネットワークを駆使し、バカどもの最近の行動とクレジットカードの使用歴、銀行口座の金の動きを把握した。犯行から三時間後には彼らの逃げ場を掴み、金を出して“知り合い”に到着先の空港を見張らせ、恐ろしいほどあっさりとコソ泥どもを見つけ出した。
アホらしいことに泥棒どもは“盗品”をどこかに隠す事もせず、アタッシュケースに入れたまま持ち歩いていた。時間が無かったのだけなのか、それとも大金を手放すのが怖かったのか、頭が働いていないのか、真相は定かではない。ついでにバラバラにならずに6人一塊で行動していた。実に分かりやすい。
大金を手にして逃げ切ったはずの連中だったが、飛行機から降りた時点で既に地獄行きが決定していた。
要するに、相手が悪かったのだ。
ここがボスの地元なら、この後はお決まりのパターンが待っている。まず夜中になって、突然“洗濯屋”がバンに乗ってやって来る。彼らは呼び鈴を鳴らさずに鍵をこっそり開け、眠っているか、酔っ払っているか、カードをしているか、テレビを見ているか、はたまた一発ヤッているか、いずれかの事をしている対象者(或いは対象者たち)に銃を突きつけ、頭に袋をかぶせて自分達のバンにご案内する。
ドライブ先は港で、コンテナターミナルに併設された複数の倉庫のどれかだ。このターミナルと倉庫の名義は、マフィアが裏で経営する民間会社の物になっている。港は住宅街から離れている上に、しょっちゅう様々な音が響くので、仮に叫び声がしようが、爆竹の様な音がしようが、誰かの迷惑になる事はない。
洗濯屋たちは介添え付きで対象者をバンから降ろし、倉庫の真ん中に据えられた椅子に座らせる。椅子は市販品だが特別に頑丈な肘掛け椅子で、床に敷かれた重たい鉄板にボルトで留められている。鉄板は後で綺麗にしやすいように、洗濯屋たちが気を効かせてビニールシートで覆っている。
対象者に椅子に座ってもらうと、まずはダクトテープで彼らの足と手、腰をそれぞれ椅子の足、肘かけ、背もたれに固定する。そして本番スタートとなる。
連れてきた相手がマフィアを舐めてバカな事をしでかした素人だったり、下手を打ってとんまをやらかした身内だったりしたなら、それほどひどいことにはならない。顔の形が変わる程度に、ボクシングのパンチボールの代わりをさせられるぐらいで済む。
相手の罪が軽い場合は、洗濯屋はボクシンググローブをはめて殴る。素手で顔を殴ると手に傷が出来る上に、相手が型肝炎やHIVを持っている可能性もあるので、衛生的な観点から見てもグローブの着用は正しい選択だ。しこたま殴っても簡単には死なないので、おしおきをするには都合が良い。
罪が重くなると、ボクシンググローブが砂鉄入りグローブに代わる。拳を握ると中に入った砂鉄が固まり、拳を傷めずにレンガを割れると言う、なかなか凄い代物である。これを味わうと、他の“物が食べられなくなる”と言うぐらいだから、さぞかし強烈な味がするのだろう。
十分にパンチボールの代わりを務めた相手が反省すると(或いは殴る方の気が済むと)、また頭に袋をかぶせられて、娑婆に連れて帰ってもらえる。彼らの後の人生がどうなるかは知らないが、倉庫に案内される原因となった事を、決して二度とするまいと自分に誓ってくれるというわけだ。
相手がマフィアにとって不都合な事をやっていたり、或いはやらかそうとしたり、余計な事を知ってしまったりした人間だった場合には、プレゼントが顔面へのグローブから、後頭部への鉛玉に変わる。プレゼントを進呈する側の好みによっては、工業用ハンマーになったり、バールになったり、時には金属バットになったりするが、結果は変わらない。相手はこの世からさようならをして、二度と余計な事をしたり、余計な事を喋ったりしなくなる。反省は無用、代わりに口を閉じていろ、ということだ。
そして洗濯屋は、魂が失われてしまった対象者の肉体を椅子にくくりつけたままボルトを外して、ビニールシートでラッピングする。このときには、プレゼントをあの世まで持っていけるように、ファラオの副葬品の様に、肉体と共に供えるのが通例だ。
ラッピングが終わると、今度はコンクリートで“箱詰め”する。その為に、倉庫にはコンクリートミキサーと、高さ2.5m・縦横1.5mの木枠、コンクリート箱を船に積むためのフォークリフトが常備されている。箱が複数になった時は、まとめてコンテナに入れることが多い。小分けにするよりも運搬が楽だし、省スペース化に貢献する。
包装が完了すると船に載せられて適当な沖まで配送され、デイヴィー・ジョーンズのロッカーに届けられる。つまりは船から落とされて海の底ということだ。もちろんコンクリートの箱は浮かんでこない。体の中にいる細菌が嫌気発酵を行ってガスが出ても、密封されているので体積が増えず、やはり二度と浮かんでこない。ガスボンベが浮かばないのと同じ理屈だ。
こうして余計な事をしようとした人間はいつの間にか消えてしまい、最低でもこの先100年ほどは海の底で暮らすことになる。その間に、彼らが何を知っていたとか、何をしようとしていたとかはどうでもよくなってしまうので、何も問題は起きない。究極的な解決法だ。
最後のパターンとしては、対象者がマフィアのえらい誰か――特にボス――をひどく怒らせた場合が考えられる。これは、裏切りを働いた身内、取り返しのつかないほど余計な事をした、あるいはしようとした誰か、本気の喧嘩を売ってきた敵対者などがいる。
今回のバカどもはこれに当てはまる。
プレゼントする物品は工具だ。ペンチ、ニッパー、トンカチ、やすり、電動ドリル、釘打ち機、万力などで、基本的にはホームセンターで買うことが出来る。好みでグリルバーナー、バーベキュー用の木炭なども追加される。プレゼントされる側ではなく、する側の好みだが。
プレゼントを渡す前に、対象者にはすっぽんぽんになって椅子に座ってもらう。よりディープに、全身で味わってもらうためだ。プレゼント先は指や歯、性器、顔などが好まれる。数が多いために何度も味わってもらえたり、体の中でも神経が特に集まっているので強烈に味わってもらえたりすることが理由だ。
これらのプレゼントされた相手の反応はすこぶる良く、歓喜の叫び声が倉庫中にこだまし、ダクトテープで手足と腰を椅子に固定しておかないと月まですっ飛びそうなぐらいに、激しく跳ねまわってくれるそうだ。
これを見学したり話に聞いたりした人々は、なぜか顔が青くなって脂汗をかき、世の中には決してやってはいけない事があるのだとよく理解できるようになるらしい。
プレゼントの進呈が終わると、相手はぐったりして二度と動かなくなってしまうので、鉛玉プレゼントの場合と同じようにコンクリートで包装し、デイヴィー・ジョーンズ宛てに発送する。ただ、このパターンでは椅子の周囲に色々と“飛び散る”ので、ビニールシートはいつもよりも大きな物を使うなどの工夫が必要になるそうだ。
色々と苦労が絶えない世界である。
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