優しい嘘つき

ほろほろほろろ

 人の心がどのように生まれるか、皆さんはご存じでしょうか?

 ここは人の心の中。嬉しい、悲しいなどの様々な感情や、あれがしたい、これがしたいという欲求の生まれる場所。これらは決して無から生まれるわけではありません。これらの源となるのは、心の中に住む小さな住人たちです。彼らは営みの中で感情や欲求の素を生み、それらによって人間の心は満たされるのです。
 彼らの住むこの世界は全く無機質な空間ではありません。あなた方人間が思う以上に、彼らは個性的で情緒豊か。毎日繰り広げられるドラマの中で彼らは生活しているのです。今回は特別に、少しだけその様子を覗いてみましょう。
 今回向かうのはこの世界の中央に位置する学校。この世界の住人にも世代が存在し、まだ幼い子らが自らの役割を学び、心の素を生み出せるように成長する場です。学校と言えば人間社会においても常にドラマの絶えない場所ですが、それはこの世界でも同じこと。さて、今回はどのようなドラマが見られるのでしょうか。
「ちょっとあんた! いい加減ついて来ないでくれる!?」
 おや? 早速何やら聞こえてきましたね。今声を上げたのは『正直』を生み出す子のようです。あの子のお陰で人間は真摯に振る舞えたり、誠実であろうとするのですよ。
 そんな『正直』ちゃんは丁度校門から飛び出すなり、足早に歩いていきます。すると、その後を追いかける一つの影が見えました。
「ま、待ってよぉ。一緒に帰ろうよぉ」
「嫌よ! 誰があんたなんかと帰るもんか!」
「どうしてそんなにわたしのこと嫌うの? わたし、あなたと仲良くしたいだけなのに」
「理由なんて簡単よ! あたしは人を騙すことが一番嫌いなの。だから、人に嘘をつくあんたとは仲良くなりたくない。分かったらもうついて来ないで!」
『正直』ちゃんはぴしゃりと言い放つと、さっさとこの場から去っていきました。残された子はしょんぼりと肩を落とし、暗い表情で俯いてしまいました。
 この子は『嘘』を生み出す子。『正直』ちゃんの言葉通り、人を騙す『嘘』の素になる子です。二人の組み合わせは確かに相性は良くなさそうですね。『正直』ちゃんの言い分も理解できます。
 ですが、拒絶された『嘘つき』ちゃんも可哀想なこと。一人残された彼女はとぼとぼと足を動かします。その背中は小さく、触れれば崩れてしまいそうですが、私たちにできることはありません。それにしても、どうして彼女は自分と正反対の性質を持つ『正直』ちゃんと仲良くなりたいのでしょうか。
 おや? 今度は二つの影が校門から出てきました。彼らは『嘘つき』ちゃんを取り囲むと、何やら笑いながら話しかけ始めました。
「おいおい、お前まだあいつに付きまとってんのかよ。あいつの一体何が良いんだよ」
「そうだぞ。俺たち『嘘つき』とあいつじゃ相性が悪すぎる。仲良くなれるはずがねぇじゃねぇか、なぁ?」
「で、でも……」
 どうやら彼らは、彼女と同じ『嘘』のようです。悪意の嘘、打算の嘘。彼らにはそれぞれ得意な嘘があります。嘘の中でも悪意や打算と聞けば、確かに『正直』ちゃんが仲良くしたくないと思うのも頷けます。ですが、それを寂しいと思う子がいることも、この世界における確かな事実なのです。
 『正直』ちゃんと『嘘つき』ちゃんの様子を幾度となく目にしてきた『嘘つき』君たちは流石に放っておけなくなり、しゅんと肩を落とす彼女に尋ねます。
「なぁ、どうしてあんな奴に構うんだよ。ずっと拒絶されてるのに。辛いだけじゃねぇか」
「それにお前は、まだ自分の得意な『嘘』を見つけられてないだろう? そっちに集中したほうがいいんじゃないか?」
「そ、そうなんだけど……。何だろう。上手に言葉にできないけど、あの子のこと、何となく放っておけないというか」
「心配なのか? 確かにあいつ、威勢の割に成績超悪いからな」
「全くよう、『嘘つき』のくせに優しいヤツだな、このこのぉ」
「ちょっと、やだ、突っつかないでよぉ」
 からかうようにしながら『嘘つき』君たちは笑います。やはり同じ『嘘つき』同士仲が良いのでしょう。少しの間和やかな空気が流れます。
 ですがその後、『嘘つき』ちゃんの目から微笑みが薄れていきました。やはり『正直』ちゃんのことが心から離れないのです。どうしてそこまで彼女のことが気がかりとなるのでしょうか。『嘘つき』と『正直』は相反するもの。一見何も関連のないように思えますが。
 そういえば、『嘘つき』ちゃんはまだ自分の得意を見つけていないそうですね。そのことと何か関係があるのでしょうか。……いえ、ここであれこれ思考しても仕方ありませんね。もう少し彼らを観察すれば自ずと見えてくることでしょう。

 ***

 あれから数日が経ちましたが、彼らの様子に変化はありません。『嘘つき』ちゃんは『正直』ちゃんと会う度に声を掛けますが、それに対する態度は相変わらずです。そんな、見ているこっちの気持ちがモヤモヤするような場面が何度も繰り返されたある日のこと、学校の様子を覗いてみると、校庭に何やら人だかりができています。ちょっと見てみましょうか。
「あ!? お前もう一回言ってみろよ!」
「何度でも言ってあげる! あんたたちみたいな悪党、この世界には要らないのよ!」
 人の輪の中央にいたのは『正直』ちゃんと『嘘つき』君でした。口喧嘩は相当ヒートアップしており、周囲もいい加減仲裁に入ろうかとそわそわしていますが、白熱し過ぎて中々タイミングが掴めません。
「んだとこのヤロウ! 俺たちだってこの世界の一部だ! なくちゃならない存在のはずだろうが!」
「そんなはずないでしょ! あんたらはただ悪意のまま嘘を垂れ流すだけじゃない。そんなことしたら、この世界が悪意に満ちて大変なことになる。授業で習わなかったの? つまりあんたらはこの世界を濁らす汚物、邪魔な存在なのよ」
「くそッ! 言いたい放題言いやがって!」
 その時、『嘘つき』君が『正直』ちゃんの胸倉を掴みました。取り囲む子の中には、あわやと目を瞑る子もいます。
「お言葉だが『正直』さんよぉ、じゃあ俺たちがいなきゃこの世界は平和になるのか? 『正直』なだけじゃ上手く回らないのは実習の授業で分かってるだろ。お前の独り善がりな正義のせいでこの世界がどれだけ危険な目に遭うと思ってる」
「あ、あの時はちょっと失敗しただけで――」
「正直者がバカを見る世界なんだよここは。だから俺たちがいる。相手を騙して出し抜く。そうしないと生きていけねぇんだよ」
「そんな卑怯者みたいな真似許せるわけ――」
「そういう世界なんだよここは! お前一人のちっぽけな正義は、ここじゃ何一つ役に立ちゃしない! お前の勝手なわがままで俺たちに迷惑かけんじゃねぇよ!」
『嘘つき』君が激しく凄むと、あんなに強気だった『正直』ちゃんの目に涙が浮かびました。そして次の瞬間。彼女は唇をきゅっと引き結び、彼の手を払いのけてその場を去っていきました。
 広場に難しい空気が流れます。「流石にあれは言い過ぎだ」とひそひそ声が上がりますが、『嘘つき』君はそっぽを向きました。彼の言い分は決して間違いではなく、無暗に非難されるものではないのです。
『正直』ちゃんと同じくその場を去った影はもう一つ。例の『嘘つき』ちゃんです。彼女も一連の諍いを目の当たりにしており、『正直』ちゃんのことが心配になり後を追っているのです。
 駆けていった先は今は使われていない旧校舎。果たしてここに『正直』ちゃんがいるのでしょうか?
「ねぇ、ここにいるの? わたしだよ? 出てきて」
 寂れた教室を一つひとつ開けて、そして閉じていきます。『正直』ちゃんの姿は見えません。上の階にいるのでしょうか。『嘘つき』ちゃんは恐る恐る軋む階段を上ります。
「さっきの言い合いだけど、あの子も本気で言ったわけじゃない、と思うよ。あなたが頑張ってるのは皆知ってるから。だからそんなに気にしないで」
 二階、三階へ上がると、微かなすすり泣く声が聞こえてきました。『正直』ちゃんは近くにいます。
「あの子はあなたのこと『役に立たない』って言ってたけど、そんなことないよ。あなたはこの世界にとって大事な存在だってこと、わたしは分かってる。だから」
 最後の教室の戸を開きます。『正直』ちゃんはすぐ足元で膝を抱えていました。
「だからね、一緒に帰ろう?」
『嘘つき』ちゃんは前に立って屈み、『正直』ちゃんの肩に手を添えます。しかし彼女は顔を上げることなく、訥々と言葉を紡ぎます。
「……あたし、『正直』だから。誠実で正しいことが大事だって、そう育てられてきたし、あたしもそう思ってる」
「うん」
「でも、それだけじゃダメなのも分かってる。『正直』なだけじゃこの世界は上手くいかないって、学校の実習で十分思い知らされた。それなのにあたし、あいつらが許せないのよ。自分の利益のために人に嘘をつくあいつらが。たとえ、この世界のためだとしても」
「……うん」
『嘘つき』ちゃんは静かに頷きます。何も言わず、じっと彼女の傍に寄り添います。じっと、次の言葉を待ちます。
「……ねぇ、どうしてあんたは、あたしに優しくしてくれるの?」
「あなたと仲良くなりたいから。あなたの力になりたいから」
「これまで沢山酷いこと言ったはずよ? それなのにどうして」
「ううん、気にしてないよ。全然」
「……嘘、なんでしょ? だって、あんたも『嘘つき』だもの」
 ――。
『嘘つき』ちゃんの目が優しく微笑みました。
「嘘じゃないよ」
 その一言は、静かに波紋を広げます。それに心が揺らされたのか、『正直』ちゃんは顔を上げました。その潤んだ目をしっかり見つめ返し、『嘘つき』ちゃんはこれまでになく温かな笑顔を作ります。
「嘘じゃない。わたし、あなたと仲良くなりたいから」
「でも、あたしじゃ皆に迷惑かける。あいつの言ってたことは正しいよ。『正直』なだけじゃ上手くいかないことなんて数えきれない。それでも、あたしにはそうすることしかできない。だってあたし、そういう風に生まれたから」
「大丈夫」
『嘘つき』ちゃんは彼女の手を握ります。安心させるように、包み込むように。
「これからはわたしがいるよ。わたしが、あなたのことを守ってあげる。もしもの時は、あなたの『正直』をわたしの『嘘』で包むから。そうすれば、これからはきっと上手くいくよ、何事も」
「……本当?」
「本当」
「そっか。……やっぱり優しいね、あんた」
『嘘つき』ちゃんが恥ずかしそうはにかむと、『正直』ちゃんもつられて笑顔になりました。

 ***

 その後、『正直』ちゃんと『嘘つき』ちゃんの二人は揃って学校へと戻りました。みんな安堵して胸を撫で下ろす中、少々バツの悪そうな子が一人。『正直』ちゃんと喧嘩をしていた『嘘つき』君です。二人を前にして、彼は居心地悪そうに視線を逸らします。
「あぁお前ら、戻ったのか」
「うん、まぁ」
『嘘つき』君だけでなく『正直』ちゃんも気まずそうに手をもじもじさせています。あんな激しい喧嘩の後ですから仕方ないことです。しかし、二人とも何とか仲直りの言葉を探します。探して探して、見つかりません。
「えっと、さっきはその――」
「気にしてないって」
 その時、『嘘つき』君の言葉に被せるように『嘘つき』ちゃんが言いました。残りの二人はぽかんとしています。
「さっきの喧嘩、水に流そうって二人で話してたの。この子もね、あなたと仲直りしたいんだって。ね?」
「え、えぇ」
『嘘つき』ちゃんの言葉に促されるように、『正直』ちゃんは戸惑いつつ頷きます。
「その、さっきはいろいろ突っかかってごめん。周りのこととかちゃんと考えられてなかった」
「ほら、こう言ってることだし。だからあなたも、さっきの喧嘩は忘れて仲良くしよう? その方がいいでしょう?」
 その真っ直ぐな瞳に見つめられ、『嘘つき』君はその真意を察しました。そうなった以上、『正直』ちゃんの言葉でなくとも断るわけにはいきません。苦笑いをしつつ首を縦に振りました。
「あぁ、そうだな。さっきのは無しにしよう。ただ、今回だけだぞ」
「ありがとう。それじゃ、わたしたちは行くね」
「おう……ちょっと待て」
 そうしてすれ違おうとしたとき、『嘘つき』君が肩越しに呼び止めました。『嘘つき』ちゃんは半身になって振り返ります。
「お前もやっと見つけたんだな。自分の得意を」
『嘘つき』君はこれまでになく優しい笑顔を浮かべていました。その表情に一切の悪意は存在せず、ただ純粋な安堵と喜びで満ちていました。
「『優しい嘘』か。確かに、お前ら二人はお似合いだよ」
 初めて掛けられた承認の言葉に、『優しい嘘つき』ちゃんはもう一度笑ってみせました。

 ***

 いかがでしたでしょうか。今回は『嘘』と『正直』が中心のドラマでしたね。ですが、今回覗いた出来事はあくまでほんの一部に過ぎません。ここは人間の心の中、常に流動的に変化するこの世界はいかなる時でもドラマで満ちています。さて、次回はどんな日常が見られるのでしょうか。

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