弁天、グッドラック、弁天

天野満

 俺は逃げているだけなのか、それとも立ち向かっているのか――。
 悶々として眠れない夜、枕元で弁才天が歌を歌ってくれた。
「なるようになりますさかいに」
 関西弁で言うのであれば、そういう旨の歌詞で、かぶと虫の名を冠した世界的に有名なグループの歌だった。玉のように美しい声が、1kのアパートの部屋中に響いて、俺の胸に圧し掛かっていた重苦しい闇が消えていく――。
 そして、俺は決意を固めた。

 グッドラック。
 大阪・梅田の歩道橋、その欄干にもたれかかって、俺は呟いた。平成から元号が変わるらしい、と世間で話題になっていたころだった。
 人生で初めて、グッドラックという言葉を使うにふさわしいシチュエーションに立たされている、と俺は思った。ピンと伸ばした親指の先には雲一つない夜空が広がっていて。
 なぜ俺は、こんなに芝居がかったことをしているのか?
 早い話が、仕事を辞めたからである。
 嫌で嫌で仕方なかった職を辞し、その解放感と未来への希望を胸に俺は「グッドラック」と呟いたのである。
 
〈Q.天野満さんは仕事を辞した際に「グッドラック」と呟いたそうですが、なぜ「グッバイ」ではいけなかったのでしょうか。気になって夜も眠れず、苦しい日々を送っています。〉

 俺の書いた文章を読んで、かのごとき質問を、インターネッツの質問サイトに投稿する者が現れるかもしれない。
 さらにはその質問者に、「自分で調べてみてはいかがでしょうか。何でも人に聞いてばかりでは成長しませんよ?」と、説教を垂れて優越感にひたる、痴れ者が現れるかもしれないが、俺はそんな事態を望んでいない。
 なぜ「グッドラック」という言葉を選んだのか。
 前の職場に対し、不満があったからと言って「辞めたらぁ、死ねコノヤロー」と喚き散らして、職を辞するような愚か者ではない。なぜなら私だって、人並みに社会倫理を持ち合わせているからだ。少なくとも、そのつもりだ。
 むしろ「大変お世話になりました」と、関係者各位に深い感謝を表明し、充分に引継ぎの期間を確保して、円満に職を辞せるように取り計らってきた。
 いわゆる「シャカイジンのジョーシキ」に則っていたというのもあるが、何より円満に退職にこぎつけることこそが、相手と自分に幸福をもたらすのだと信じていたのである。
 だからこそ「さようなら」を意味する「グッバイ」ではなく「幸あれ」を意味する「グッドラック」を選んだのである。
 この別れは、きっと双方の未来にいい影響を与える、と信じて。

 二カ月後、転職の都合で関西を離れ、福島県へ引っ越すことになった。
 二十数年を関西で過ごした俺にとっては大きな事件だった。初めて住む土地、初めての仕事。俺は不安で一杯だった。
 俺が不安な未来に立ち向かう唯一の方法。それは愛する家族に、友に、故郷に、幸福を祈ることだと思った。誰かの幸福を祈ることが、人間にとって一番の力になる。人はそれを愛と呼び、勇気と呼んだ。
 新幹線の車窓に飛び込んでくる風景にモノローグを浮かべながら、口にした二度目のグッドラック。

 福島に来てから、たった二か月後の出来事でした。
 俺はまた職を辞してしまった。 
 想像以上に仕事が苛烈で、飯の味がわからなくなり、知らない間に涙が頬を伝うようになった段階で退職を宣言した。
 誰かに言われるでもなく、俺は自身を「根性無し」だと思っていた。だから、スーパーで安物の半紙、毛筆、墨汁を購入したるや、家に帰り、そればもう達筆な字で、「根性無し」と書して、額に貼り付けてキョンシーごっこに興じていた。俺は死体だった。生きているように死んでいる死体で、性根から腐臭が漂っていた。
 住んでいるアパートが外より寒いのは、暖房が壊れているから。こうも寒くては愛も勇気も死ぬよね、と自分に言い訳したとき、自己嫌悪で嘔吐した。
 
〈未経験ですが、頑張ります! コミュニケーションは得意です!〉
 
 嘘だ嘘だ嘘だ! どの口がほざいてやがる。新天地での生活に理想ばかり求めやがって、この甘ったれが。
 根性を叩き直さねばならぬ、と、俺は脅迫的な観念に囚われ、「懲罰」と称し、次の仕事が見つかるまで、生活のレベルを下げることにした。
 死体に布団は贅沢品だと、布団を廃し、段ボ―ルと革ジャンと部屋のカーテンを布団代わりに生活していたのもこの頃である。食費は月に一万円までとし、大豆製品以外からはタンパク質の摂取を禁じた。風呂の使用さえ禁じて、台所で体を洗い、工作用のはさみで自分の髪をセルフカットしていた。
 体重が減り続け、見てくれが汚い鳥のヒナみたくなったころ、縁あって私は福島県から愛知県に移り住むことになる。
 懲罰の仕上げは、高速バスと在来線のみを使用した福島から愛知への移動である。東海道本線の車窓越しに見た弁天島の鳥居。そこに射す後光はきっと、俺の未来の光。
腰痛と睡眠不足に苦しめられながら、自分のためだけに呟く三度目のグッドラック。

 愛知に来てからの日々といえば、穏やかなものだった。
 食事の味がわからなくなることも無いし、意味もなく涙が流れることも無い。長期連休の際には新幹線で実家に帰ることも出来た。二か月で振られてしまったが、恋人も出来たし、入賞はしなかったけれども、長編小説を書いて投稿することも出来た。
 もちろん、苦しいことが無かったわけではない。二次関数すらロクに理解していない自分には理系の職は困難なものであったし、秋になるとベランダにはカメムシが大量に飛来、屁をこいて私の衣服を汚染するのである。
 そして、愛知に来て二年が経とうとしていた、ある夜、俺は弁才天に出会い、彼女なりのグッドラックを受け取った。それが冒頭の話である。
 弁才天と邂逅した翌日、俺は職を辞し、関西へ帰ることを決めた。
 ええええっ、マジ? となるのが尋常の反応であるかと思うが、私はいたって正気である。辞した理由は様々あれど、あえて書き物映えする理由を選ぶなら次のようになる。

〈弁才天が俺にくれた、グッドラックを信じてみたくなったから〉

「意味わかんねンだヨ! このジョブホッパー野郎が!」
 私が偽らざる気持ちを申し上げると、とヤンキー漫画の登場人物のようなセリフを吐きながら、殴りかかってくる人があるかもしれない。
「でも私はその拳を甘んじて受け入れます!」
 と、今までの俺なら言うていたかもしれない。だが、今俺は自分の心に正直になったから、軽いフットワークで拳を避け、仕事を辞めて関西に帰るよ。
 実際、会社の上司に退職を申し出た際には次のような引き止めを受けた。

〈自分に向いている仕事と言うのは自分で作るんだよ〉
〈君と同じような事情でやめていった人たちが一杯いたけど、みんな他の所でも転職を繰り返している〉
〈君はまだこの仕事の本当の面白さを知らないんだよ〉
 
 たしかに、正論ではあった。現に俺は何も言い返すことが出来ず、ゲヒゲヒと愛想笑いをしていたのだけれど、私には、かつて辞めていった人々とは大きな違いがあった。
 俺は弁才天に出会い、彼らは出会わなかった、ということである。
 
 愛知から移り住んだは京都の西側、家賃2万のボロアパート。
 ビル清掃員として人生をやり直す。もう二度とグッドラックなんて言わなくていい人生を送るために、考えに考え抜いた結論だった。そうそう間違っているなんてことはない。なんてったって弁才天が俺にはついてるから。
 それはさておき、本棚が欲しい。
 引っ越しの荷ほどきをしていたら、本が大量に持っていることに気が付いたのだが、本棚を持っていない私は、それらをすべて床に直置きしていたのである。
 清掃をする人として生きていく以上、自分の住居が散らかっている、という自己矛盾が発生しないようにしたいと思ったのである。
 思い立つや否や、私は家具屋で小さいがしっかりした本棚を購入、早速持ち帰って、家で組み上げたのである。

「うーん、見事な本棚。まさにグッド(な)ラックだな!」

 やっちまった。高潔な誓いが、地面に落ち砕けて散った。欠片を拾い集めても、もう誓いが元に戻ることは無く、弁才天の歌声も忘れてしまった。
 
 俺は逃げているだけなのか、それとも立ち向かっているのか――。
 今日も俺は自問自答を繰り返し、嘘と本当の境界線をピョンピョンしている。仕事という名のホッピングマシンに乗って。これが噂のジョブホッパー。こんなヘラヘラした生活をしてたら、いつ殺されても文句は言えない。
 弁才天様、こんな俺の人生にも、もう「グッドラック」と言わなくていい日は訪れるのでしょうか。そんな日が来たら、俺の心は「グッと楽」になるだろうに。(了)

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