山中隆司
ニワトリが鳴き声と共に牧場の朝は始まる。
隣では仲間のカイ号がまだ眠っている。
のどの渇きを潤すために水道に向かうと友人のミマサカ号がいた。ミマサカ号が私に気が付いたらしく声をかけてきた。彼とは同年代だが私と異なり小柄な体格をしている。
「シモツケ号じゃないか。最近、寒くなってきたよな。寒くて夜なんて夜中に何度も目が覚めて、最近寝不足だよ」
「寒くて寝不足か。確かに最近、寒い。でもそれはミマサカ号君、君が一日中部屋の中で干し草を食べるだけの生活をしていたら、疲れがなくて眠れるものも眠れやしないよ。昼は外に出て散歩しないと疲れないし、部屋の中でジッとして食べて寝るだけの生活をしていたら退屈だろう」
「ああ、退屈さ」
「それなら、今度、一緒に外に出ようよ。いい気分転換になると思うんだ。最近、部屋の中で寝ているだけだろう」
「いや、寒いから外に出たくない。それに散歩と言っても近くにある塀の前に行くだけだろう。その先に広がる世界があるのは分かる。それを確かめる手段がないじゃないか」と叫ぶ。
「朝だぞ。静かに」とミマサカ号君をなだめる。
ミマサカ号君の言った言葉に何も言い返せなかった。確かにいつもの散歩はその塀まで行って帰ってくるそれだけだ。
塀の先に新しい世界が見える。だが、そこに行くことはかなわない。
毎日、塀の先に世界が続いていることを確認するために散歩している。そして毎日、変わらない日常、景色が続いていることに安心する。
水を飲み、部屋に戻ると仲間のカイ号が朝食に干し芋を食べていた。ここ一週間食事が提供されてない。餌箱を見ると相変わらず私には朝食は準備されない。
食事を提供されないことをボヤいた友人を知っている。しばらくして、彼は人間に連れ去られていった。その後、彼を見ることはなかった。人間に強引に連れ去れる時の悲しそうな顔を一生忘れることはない。
今も瞼を閉じれば目の前にあの日の光景がやすやすと思い浮かぶ。今の私はこのような瞳をしているのだろう。
「兄貴は今日も食べないんですか。かれこれ一週間は何も食べてないですよね。体に障りますよ。空腹は気持ちも暗くしてしますよ。どうせ、人間がご飯を入れるのを忘れているんですよ。今度、人間に言ってやりますから安心してください」
「ありがとう。お願いするよ」
彼は私より少し後に生まれたが、体格はずいぶん小さい。いつも出された干し草や干しいもを目一杯頬張り、わらのベッドの上で寝るだけの生活をしている。毎日、満足に食事が提供され、暖かく眠れる環境のため永遠にここにいたいと言っている。
「そうは言ってもな、ご飯が出されないんだよ、毎日。最近はなれてきて空腹も感じなくなった」
「食べますか、コレ」と一束の干し草をこちらによこした。投げられた干し草はアスファルトの上にバラバラになって広がる。
「気持ちだけもらっておくよ。本当に食欲がないんだ」
彼は不思議そうに私を見た。純朴な瞳を見ていると辛くなり視線を外す。外にはきれいな朝日が昇っている。
私は忌々しそうに干し草を踏みつけた。
人間の言いなりにはなりたくない。
だが、そう思う気力はすでになかった。
「私はこれから旅に出る。だからもう会うことはないだろう」
以前、人間にシモツケが連れ去られたのを目撃した。ここは肉牛の牧場であることを理解した。
このことはシモツケ号に話さないでいた。
コメント