教育

マサユキ・マサオ

私が念願のスマホを手に入れたのは高校入学直後のこと。
まずはラインをダウンロードして、幼馴染の隆君に『おちんちん』と送りました。
私の初めてのメッセージは正確に送信され、既読マークが付きました。
私は呆然とし、そして怒りが込み上げてきました。
これは何かの間違いで、私は何か別の言葉を送ろうとして間違えたのです。たとえば、近しい言葉を訂正して送れば隆君への誤解も解けるでしょう。私は再度、隆君にラインを送りました。
「おふぃんふぃん」
送信したと同時に、先程より早く既読が付きました。
同時に私は、先程より更に深い絶望を感じました。
勿論、私はこんなことを送りたかったわけじゃない。
もっと知的な、意味のある言葉を送らなければ。
「フィンランド」
三つ目の文章を送ってしまった数秒後、私は一つの結論に行き着きました。隆君を殺すしかない。
近所の公園で三十分後に待ち合わせをし、私はサバイバルナイフを持って家を飛び出しました。

朕は国家なり、と昔の偉い人は言いました。ああそうだ。私はそう言いたかったんです。決して、おちんちんの話をしたかったわけではありません。ちんちんは股間にあり、という言葉が頭をよぎって腹がよじれるほど笑っていたのは内緒です。
公園に着くと、外は既に暗くなっており、夕闇を背に隆君は立っていました。隆君は残暑厳しい九月にも関わらずロングコートを着ていました。なんだろうと思っていると、振り返りざまコートの前面をバッと開いて私に見せつけてきました。その下には靴下以外何も身に着けていませんでした。
「違うんだ」
隆君は涙目になって私に訴えかけてきました。サバイバルナイフを右手に持ったまま、私は頷きました。何故こんなことになってしまったのでしょう。世の中は不条理です。自分の思った通りになることなんてほとんどありません。私は思わずもらい泣きしてしまいました。
その時です。隆君のおちんちんが、むくりと起き上がって語りだしました。
「いいや、まったく違わないよ諸君。朕の言葉を聞きなさい」
今日起きた出来事のすべては正しく、予定調和のうちに起きたのだと彼は言いました。その声は隆君とは違い、威厳に満ちた太い声でした。
「いやいや違いますね、それはまさに詭弁に過ぎませんよ」
今度は私のポケットから声が聞こえてきました。
私はポケットからスマホを取り出しました。私のスマホが勝手に喋っているのです。最近のスマホは凄い機能が付いているものだと私は感心しました。
「あれはこの世の諸悪の根源。今すぐ抹殺すべきものです」
スマホがフロントライトで指し示しているのは、どうやら隆君のおちんちんでした。私が改めてサバイバルナイフを隆君に向けると、怯えた様に両手で股間を隠しました。
「待ってくれ。僕もまた、おちんちんという魔物に踊らされた犠牲者の一人に過ぎない」
「いいえ、待たないわ。今私がその呪縛から解放してあげる」
そう私は、隆君のおちんちんを切り落として、この世の絶対悪を打ち倒す為に駆け付けたのです。その時、私の中に『正義』という二文字が浮かびました。その大義名分に背中を押され、私の中に沸々と熱い気持ちが込み上げてきました。既に私の行為は私一人の問題ではなく、いわばこの世界の為に行う聖戦の様に思えてきました。
隆君も覚悟を決めたのか、ロングコートを脱ぎ捨てて臨戦態勢に入っていました。私が隆君の懐に飛び込もうとしたまさにその瞬間、ピィーッと乾いたホイッスルの音が闇に響き渡りました。
「君たち、そこまでにしておきなさい」
いつからそこに居たのか、海兵隊の様な格好をした欧米人の男達が五人、ぞろぞろとやってきて整列しだしました。その中の隊長でしょうか、チョビ髭の男が私と隆君の間に立ち、流暢な日本語でこう言いました。
「名乗り遅れました。私たちは、フィンランド教育委員会。教育の危機を感知して、たった今出動してきました」
チョビ髭が右手を高々と掲げると、男たちは『フィンランドの教育は世界一』と近隣住民の家々にも響く声で敬礼し始めました。そういえば、中学校時代の先生がフィンランドの教育レベルは世界トップクラスだと喋っていたような。それにしても、こんな方々がいるとは初耳です。
チョビ髭は全裸の隆君をまじまじと見て溜息をつきました。
「嗚呼、まさに教育の敗北だ。やっぱり、日本人は揃い揃って変態なのですね。これは教育しがいがありそうだ」
「い、一体、何をする気、ですかっ?」
隆君は怯えながらもファイティングポーズをとっています。しかし、先程まで元気そうだった下半身は随分としょんぼりしてしまっていました。
チョビ髭が合図をすると、委員会の中でも屈強そうな男が鞭を持って隆君の前に立ちはだかりました。
「彼の持つ鞭は、人類の内なるセクシャルモンスターを打ち倒す為に開発された特注品。さぁ、観念して教育されたまえ」
逃げようとした隆君の色白な尻に鞭の連打が襲いかかります。
「この変態がぁ! 教育っ、教育っ、教育っ!」
ギャァァっという隆君の叫び声に紛れて、おちんちんの断末魔が一瞬聞こえました
「この無礼者共めっ。そして、なんという不覚っ」
それっきり隆君のおちんちんは完全に沈黙し、隆君自身も四つん這いにうずくまったまま気を失いました。隆君は脱ぎ捨てていたコートを着せられて委員会の方々に抱えられ、どこかへ連行されていきました。
公園前にはチョビ髭と私だけが残されました。私は委員会の方々に感謝していました。私は隆君を殺さずに済んだし、隆君もおちんちんの呪縛から解放されたのです。
「それから君についても用があります」
チョビ髭は私の方へ振り向き、淡々と言いました。
「君のスマホには我々が開発途上だった人工知能が搭載されています。手違いで流出してしまったので、申し訳ないが回収させてもらいますよ。あとついでですが、サバイバルナイフも危ないから没収です」
チョビ髭は、有無も言わせぬ速さで私の手からスマホとナイフを抜き取り、何処かの闇へと消えていきました。

後日、私の家に最新型のiPhoneがフィンランドから届きました。隆君は何も覚えていない様子で、普通に学校に通っています。私が送ったラインの内容も言いふらされていないようで安心しました。
一体、あの夜の出来事は何だったのか。フィンランドも、喋るスマホもおちんちんも、思い返すとまるで夢の中の出来事の様です。
ある日の地理の授業中、先生が北欧の地図を指して言いました。
「ノルウェー、スウェーデン、フィンランドの位置関係は、ノル上、下スウェーしたら玉がフィンフィンする、と覚えてください」
微睡んでいた私は、それを聞いてはっと目が覚めました。言われてみれば、北欧の三国はおちんちんの形をしていました。その瞬間、私が隆君を殺そうとしていたこと、隆君が露出性癖を持っていたこと、フィンランド教育委員会が教育の危機を救ったこと、などなどがフラッシュバックしてきました。
その時、私の中に浮かんできたのは『感謝』という二文字です。私はフィンランドのおかげで殺人犯にならなくて済んだし、最新のiPhoneを手に入れることが出来ました。流石サンタクロースの国、彼らは独自の技術で瞬間移動装置を既に開発しているに違いありません。それを可能にしているのは、やはり教育なのでしょう。私は、フィンランドと、そして私をより良い方向に導いてくれる教育に感謝し、より一層の勉学に励もうと心に誓いました。

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