台風の目
とある夏、台風で電車が止まった。私は夜勤明けに自宅まで歩く羽目になった。
大きく曲がりうなだれる枝と葉は、首の皮一枚で何度も右往左往している。落ちて行った葉はどこへ行ったのだろう。私はその木のことを何も知らないので、ただその横を通り過ぎる。
ここは一応国道らしいところではあるが、透明な雨合羽を羽織る私の横を、何度も何度も車が通り過ぎていく。
単子葉類か双子葉類の孫たちの上を何ともなしに歩き過ぎる。
目線と思考のギャップによって今の私の表情はさぞかし滑稽でおぞましい怒りに似た表情になっているのだろう。
私の顔の態度は、通りずぎる車の反射で、何となく想像がつく。不遇を嘆き、目の下にできた隈はやっぱり世界の鏡であった。
歩けど歩けど田圃道。カエルの合唱は夜の営み。空の乱舞は午後の気まぐれ。だけれど今日はそうじゃない。さっきから後ろに迫る黒い雲は予定を大幅に超えて風を吹かせていた。
伸びしろを考えればこんなものでは済まない。私は急ぎ足で小高い山を歩道に沿って降りてゆく。遠くに見える何度目かの上り坂は、垂直の壁みたいに車を上昇させてゆく。白、青、黒、黒、白、わからない、黒。
このあたりの人間は黒い車が好きらしい。そのあと三台黒い軽自動車が続いていった。
車の通りが少なくなった。通勤ラッシュは去り、ついにひとりの遭難者となった私はケータイをポケットから出そうと合羽の内側に手を入れた。
カラカラと手に伝わる感覚がある。取り出してみると、バイトの同僚の女性にお土産でもらったチョコレート菓子が出てきた。
夏だ。ポケットで温まったそれは袋の隅々まで行き渡りドロドロになっていた。ビスケット生地の部分はかろうじて手に伝わってくる。これをもう一度ポケットに戻す勇気がなかったので、ブカブカのポロシャツのポッケに、こんどは入れ直した。
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