福原大輝
研究室で後輩の女の子が声をかけてきた。僕は目の前のディスプレイに集中し始めたときだったので少しイラついたけど、彼女のいる右側に顔を向けた。
僕たち数十人の研究員はデスクを向かい合わせにくっつけて座っている。彼女は僕から一つ飛ばしの席に座っていて、こちらをじっと見ていた。その真ん中にいる同僚は、また始まったというように、苦笑いをしながら席を立つ。
彼女は悪びれもせず、椅子を回してこちらに向き直った。
「わたしが詐欺師の妹分だと仮定しましょう」
彼女はいつも唐突に、こういうわけがわからない話を始める。
「だったら何?」
先日、ニュースでこういうことがあったんです、と彼女は続けた。
「海難事故があったときに、救助作業で海底を探索するんです。そのときに船の乗組員ではない人がよく見つかります。それって政府がひどい殺人犯とか法を犯した人を沈めているっていうことらしいんですよ」
そんなニュース、僕は知らないし、テレビで放送できるのかと思った。だけどそんなこと彼女に言ったって関係ない。
「うん、それで?」
「先輩はどう思いますか?」
「いけないことだと思うよ」
「ですよね」
彼女はうんうんとうなずいている。話の行き先が見えなくて僕は訊いた。
「さっきの詐欺師の妹分とはどういう関係があるの?」
「そうです!」
彼女は席を立って近づいてきて、僕の顔に当たってしまいそうな距離で人差し指を向けてくる。危ないからやめてほしい。
「よく気が付きましたね、先輩。それが大事なのです」
「大事?」
「そうです。政府が海底に犯罪者を捨てていること。それを行っている人間は誰だと思いますか?」
「政府の役人さんじゃないの?」
「違います」
彼女はちっちっと指を振る。その反対の手はせわしなく鉛筆を動かしていて、僕の机上にある書類に何やら書いている。本当にやめてほしい。
彼女はしばらくもったいぶってから言った。
「それを任されているのが、わたしたち詐欺師なんです」
「……そうだとしてそれを大きな声で言っていいの?」
「いいんです。ここに盗聴器がないことは確認したので」
「それはよかったね」
「とにかく海底に死体を沈めているのはわたしたちなんです」
「それって詐欺師の仕事なの?」
「そうなのだから仕方ないのです」
彼女は人差し指を立てて、自信満々な様子だ。
そのとき、携帯電話のアラームがここかしこで鳴り始めた。緊急時のそれで、みんなの携帯分が集まれば頭をつんざくような轟音だ。
地震です、とAIの音声が繰り返した。とたんに僕は揺れを感じた。
地震か、と口々に言い、まわりの研究員たちはデスクの下に潜り込む。僕たちも同じようにする。一つあたりのデスクの下は広いはずないのに、彼女は僕と同じ席に入り込んできた。しかしとっさのことなので咎めることができない。
彼女は机の下で姿勢を正すと、また目を合わせてきた。
「さっきの続きをしましょう」
「いまそれどころじゃ」
「この警報が、わたしが所属してる詐欺師の仕業だとするじゃないですか」
「本当は地震じゃないってこと?」
周囲で地響きの音がする。揺れが大きくなり、タンスの本がすべて落とされる。その音を気にも留めずに彼女は続ける。
「そうです。研究所の人たちを驚かしているんです」
「詐欺師ってもっと静かにばれないように行動すると思ってたよ」
「珍しい詐欺師なんです」
「何が目的なの?」
「研究所を乗っ取るのが目的なんです」
「それで?」
「お金になりそうなデータがあったら持っていきます」
「そんな金になりそうなものないでしょ」
揺れがさらに激しくなり、僕たちが話していられないほどになった。
そのとき、とっさにつかんでいた紙切れに気が付いた。それはさっき彼女が落書きしていた書類だった。何気なくそれを見ようとしたとき、彼女が横で言った。
「今見ちゃダメです」
「なんで?」
「この警報が鳴りやんだら見ていいです」
「君たち詐欺師が退散しないと鳴りやまないんじゃないの」
彼女はめずらしく目をそらした。僕は不思議に思いながらも続けて言った。
「やめさせるように連絡してよ」
「わたしは裏切り者なのでもう連絡できないんです」
何して裏切ったんだよ、そう言おうとしたそのとき、「危険なので研究所の外に逃げてください」と、所内にアナウンスがあった。
確かに先ほどの規模の揺れはおさまったかに思える。外に逃げるのは今のうちかもしれない。
まわりの研究員は研究室の外へと出始めた。僕は外に出る前に彼女に確認した。
「これってもしかして君たちの罠なの」
彼女は咳払いを一つする。
「罠ですけど、いうこと聞かないほうがもっとひどい目に遭うので逃げましょう」
「わかったよ」
僕たちは本がばらまかれている床を踏み、研究室を出て、階段を駆け下りていく。研究所の外に広がる草原に研究員たちは集まっていた。
研究所は街のはずれの高台にある。夕日がさす向こう側を見渡すと海が見えた。波が荒れている。
今現在の揺れは大きくないけれど、地響きが続いていた。
夢中で走ってここまで来たので、左手にはやはり彼女が落書きした紙切れを握ったままだった。もう見ていいか、確認しようとしたとき再びアナウンスが鳴った。
「気象庁の調べによると、震源の深さは約8キロ。この地震による津波の心配はありません」
無機質な音声が広がっていく。
――やっぱり地震じゃん。
隣にいる彼女の顔を見ようとしたら、彼女は目をそらした。
「ねえ、この紙まだ見ちゃダメなの? いっそのこと返そうか?」
彼女はこちらを見ない。
風が渦をまくようにあたりに吹いている。草原がそれを受けて揺れ、足元を撫でる。真っ白い鳥の形をした雲が悠然と空を飛んで、研究所の屋根についた避雷針にぶつかった。金属音が聞こえたような気がした。
ねえ、と彼女に呼び掛けても、彼女はまだこちらを向かなかった。とそのとき、
「おーい」
彼女は虚空に向かって手を振った。まだ続いているのかと思ったが、同じ方向を見上げると、鳥の形をした雲の中から、パラグライダーのような乗り物に乗った人間が颯爽とこちらに向かって降りてくるのが見えた。
僕は思わず手の紙切れを見た。
「もうわたし行きます。いつもわたしの変な話に付き合ってくれてうれしかったです。さようなら」とともにかいけつゾロリの顔が描かれていた。
「ちょっと、待って!」
僕は叫んだけど、駆け出した彼女はもう振り返らなかった。
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