神様が見てるとしたら

天野満

「本倉さん、どうしたんですか、その格好」
 駅前の欧風のモダンな作りのカフェの中にあって、本倉さんの身なりは相当に不釣り合いだった。
 ヨレヨレのドテラに猿股、腹巻き姿で、髪の毛は爆発したように乱れ、線の細い顎や頬から無精髭がぴょこぴょこ飛び出している。
 本倉さんは僕の問いかけに答えることもなく、小指で耳の穴をほじくる。そして、指先についた耳垢を息で吹き飛ばした。
「一体、何があったんですか。明らかに様子が変ですよ」
「別に、何があったってわけでもねえよ」
「本当ですか?」
 大学の音楽サークルでに初めて本倉さんにあったとき、僕は「ロックな人が歩いている」と思った。髪を肩くらいまで伸ばし、いつもイカツいデザインのTシャツに無骨なカーゴパンツ姿で、大学内を闊歩している姿にはある種の威厳があった。
 〈ロックンローラーってのは、二十四時間ロックしてねえとダメなんだ。音楽のことだけじゃねえ。服装もいつもバッチリ決めてねえとな〉
 本倉さんは口癖のようにそんなことを言っていた。本倉さんの格好が世間的にオシャレだったのかどうかはわからないけれども、反抗的なアティテュードと爆発しそうなエネルギーが伝わってくる、その格好を僕は好ましく思っていた。
 そんな彼が今や、下町のボロ屋で酒に溺れ人生にくだまくオッサン、その寝起き姿のようになっている。何かがあったことは明らかだった。
「もし、悩んでらっしゃるんでしたら、話聞きますよ」
「悩みっつーかな、こういうの」
 沈み込むようなため息をついてから、本倉さんはポツリポツリと語り始めた。

 アツシって親友がいるんだ。地元のツレなんだけど、そいつとは長え付き合いでな。小学校から高校までずっと一緒だったんだ。一緒につるんでバカばっかりやってたよ。小学校のときにはピンポンダッシュをどっちが多くできるか対決して、見つかって怒られまくった。中学のときは好きな女の子がカブって、河原で殴り合いの喧嘩した。結局どっちもフラレちまったんだけどな。高校のときには二百キロ離れた街まで、自転車で旅しに言ったこともあったな。金がなかったからよ、宿なんかとってなくて、公園で段ボール敷いて寝てたら警察に見つかって、朝まで逃げ回ってたりもしたっけな。
大学はお互い違う学校だったんだ。それでも住んでる場所は変わらんかったから、頻繁に連絡を取り合って、よく一緒に遊んだり、飲みに行ったりしてた。
 で、大学出たあと、俺は地元の小さえ工場に、アツシは都会のほうのデカい商社に就職した。
住む場所も随分離れちまったうえに、お互い仕事やら何やら忙しくて、連絡の頻度も少なくなってて、気がついたら何年も会ってなかった。

 ある日、久しぶりにアツシに連絡をとったんだ。話してるうちに、こっちに遊び来いよって、アツシが誘ってきたんで、俺は誘いに乗っかった。いい大人が、都会にいく前日から楽しみでよく眠れなかったんだぜ、笑えるだろ。遠足前夜の子供かっつーの。まあ、それはいいとして。
 俺は昼過ぎに新幹線に乗って、アツシの住んでる街に行った。着いたときには、もう夕方だった。都心から少し離れた駅で俺はアツシを待ってたら、改札の人混みの中に懐かしい顔が見えた。
 遠くに見えるアツシの姿を見て、俺は驚いた。アツシがめちゃくちゃオシャレになってたんだよ。上等そうな黒のテーラードジャケットに、細身のチノパン、ピカピカに磨き上げられた靴。地元でつるんでた頃は、いつもヨレヨレのパーカーにシミの付いたジーンズが一張羅だったんだよ。垢抜けるってこういうことを言うんだな、って俺は思った。
「お前、なんかオシャレになってねえ?」
「ありがとよ。お前は全く変わらねえな」
 おうよ、と俺は自分の服に目をやった。ロックバンドのTシャツにカーキのカーゴパンツ。俺のユニフォーム同然の格好だった。
 立ち話も何だし、どっか居酒屋でも入ろうかって話になった。が、都会の休日ってのは、混み合うもんなのか、なかなか開いてる店が無かった。だから、俺はアツシに提案した。
「空いてる店ねーなら、コンビニで酒買って、路上で飲むってのはどうだ? 昔、よくやってたけど、久しぶりにどうだ?」
「そんなみっともないマネできるか。もうちょい歩いたら店あるからよ」
 俺はてっきりアツシが提案に乗ってくるもんだと思ってた。よく考えたら三十前のいい年した野郎どもが、久々に再会して都会の真ん中で路上飲みってのもアレだよな、と俺は思い直して、アツシについていった。
 しばらく歩き続けて、そろそろ疲れてきたな、ってころになってやっと空いてそうな店を見つけたんだ。〈飛車角行〉って、名前の店で外見は古いけど、よく掃除されてるのか、清潔感があって、何よりメニューが安かったんだな。
「ここ、いいんじゃねえの?」
「いや、あっちの店にしようぜ」
 アツシは別の店を指差してた。〈アンダーネオン〉って名前の店で、外壁がガラス張りになってて、店内が見えるんだが、コンクリート打ちっぱなしの内装で、バーカンにネオンのオブジェが置いてあるような、カウンターにいかにもオシャレで高そうな店でよ。店の看板見てもやっぱ高けーのよ。おまけに人も多そうだった。
 俺は渋ったんだが、アツシがどうしてもって言うし、俺もまあせっかく都会に来たんだから、って思って、そのシャレた店に入ったんだ。昔のアイツなら迷いなく〈飛車角行〉を選んでたと思うんだが。

「最近どうよ?」乾杯もそこそこに、アツシが俺に尋ねた。
「まあまあ、元気にやってるよ。そういや、最近になって転職したわ。前の仕事は自分に合ってない気がしてよ。まあ、他にも色々事情は合ったんだけど」
「へえ、いいじゃん。実は俺も仕事辞めたんだよね」
「マジか。じゃあ、今は何やってんの?」
「まあ色々とな。IT関連の仕事だったり、コンサルみてえなこともやってる。自分で稼ぐ力が無いと社会の食い物にされちまう。商社にいたときに作った人脈を使ってビジネスをやるつもりなんだ。これからの時代、ただ会社員やってるだけじゃ、金稼げねえしな」
「精力的だねえ。あんまり無理すんなよ」
「大丈夫だって。商社時代のことを思えば、今の生活なんて楽勝さ。最近は朝の五時に起きて、筋トレしてんのよ。一日の始まりに運動をすると、体調がいいんだ」
 アツシの仕事がとんでもなく激務だって聞いてたから、以前連絡を取り合ったときに聞いていたから、俺は何よりもヤツの体調が気がかりだった。
「筋トレねえ。最近までやってんたんだけど、百日間やったのを境に休みっぱなしになっちまってるよ」
「運動はいいぞ、知り合いのデキる社長たちも、やっぱみんなやってるってさ」
 へえ、と言いながら俺は運ばれてきたピザを食った。焼きが入りすぎていて、端のほうが焦げて固くなっていた。
「ちょっと、そのピザこっちに貸してくれ」
 アツシはピザをテーブルの上でちょこちょこ動かすと、スマホを取り出して、写真を撮った。
「なんで写真なんか撮ってんだ?」
「SNSに載せようと思ってんだ。ここ、話題の店だったから」
「お、なんだ? SNS映えでも狙ってんのか?」
「SNSマーケティングの一環さ。洒落た店に興味のある層に訴求するための活動っていうか」
「よくわかんねえけど、早く食わねえと冷めちまうぞ」
 昔、アツシと一緒に行った居酒屋で、一切れだけ残った馬刺しを奪い合っていたのをなんとなく思い出した。
「そういえばさ、最近になって、またバンドやり始めたんだよ」
 昔一緒にやってたバンドのメンバーと飲みに行ったのがきっかけだった。狂ったように音楽の話をしているうちに、かつての熱が蘇ったんだな。さらにメンバー各人も生活とか仕事が落ち着きはじめていたのが、追い風になった。
「マジかよ。いい感じじゃん。で、どういう戦略立てて活動していくんだ? 最近はネットでの配信とかもめちゃくちゃ盛り上がってるしな。それとも大規模に集客する作戦でもあるのか?」
「いやいや、音楽だけで食っていくとか、そういうことは考えてねえよ。俺たちはただやりたい音楽を好き放題やろうとしてるだけさ」
「そっかあ、やるんだったらSNSマーケティングとかブランディングとか学んでみるの大事だぜ。最近、急激に人気出てきた〈明日に向かって突っ走れズ〉ってバンドもマーケティングとかめちゃくちゃ考えてやってるらしいしな」
 あー、明日ズ、ねー。あんまりピンとこねえけど。という言葉を、俺は薄いウーロンハイとともに飲み込んだ。

 〈アンダーネオン〉を出て、二件目の店を探して、俺たちは電車に乗り、さらに都市部のほうに向かった。駅の改札をくぐった途端に現れた人の海に俺は目眩がした。
「初めてきたけど、すっげえ人だな」
「すげえだろ。日本の中で一番の都市ってのはダテじゃねえ」
「オシャレな服着たやつ多いな。地元とは大違いだ」
「汚え格好してたら、たとえお前でも距離置いて歩くわ」
 冗談だよ、とアツシは言った。
 が、急に俺は自分の格好、好きなロックバンドのTシャツにカーキのカーゴパンツ姿が、もしかすると、この街にそぐわないのではないか、と何故か不安になった。
 もしかすると、神様に見られているっていうのはこういう気分かもしれないと思った。街にそぐわない格好をしている者には天罰が下る。自分でもバカバカしい発想だと思ったが、この街にはそう思わせるだけの力がある。だから、皆は目をつけられないように身なりを整えているのではないか。そして、アツシもその例にもれなかったのではないか。
「お前はこの街に住まないのか」
「俺はやだね。お前と気軽に会えるのはいいけど、人が多すぎるし、家賃も高すぎる」
「それがな、探せば安い家もあるんだよ」
 アツシがスマホで調べた物件情報を俺に見せてきた。
「四畳でキッチン付き、風呂なし、バルコニーなし。駅から三〇分、築六十年の木造で……家賃五万円だあ? 高すぎんだろうが!」地元じゃ、五万円出せば鉄筋コンクリートの八畳、風呂トイレ別、バルコニー付き、駅から一〇分、という条件の家に住めるものだから驚いた。
「まあまあ、風呂なんかなくてもどうにかなるって」
「ならねえよ。毎日、キッチンで体洗えってか」
「でもよ、そんだけ不便な家にでも住む価値はあるんだって、この街には。やっぱ仕事探すにしても、人脈作るにしても、地元とはエラい違いだぜ」
「仕事は地元にもあるし、俺はオメーみたいに独立する気もねえのよ」
「独立しようがしまいが、この街に住むのがいいと思うぜ。住んでるだけで物事の視野が広まる」
「視野が広がるってことに異論はねえけど、風呂なしはヤダ」
 それから俺たちは、二件目の店を探したが、いい場所が見つからず、仕方なく全国チェーンの安居酒屋に入った。俺は趣味の話や、身の回りで起きたバカっぽい話ばかりをして、アツシはそれらの話題を拾いつつ、ビジネス関連の話に流れを持っていった。

「いきなりスマねえな、また会おうぜ」タクシーの窓から、アツシが拳を突き出してきた
「いいってことよ。お前も元気でな」突き合わせたアツシの拳は、以前より軽く細く感じた。
 本当はアツシの家に泊まる予定だった。が、翌日までにやらなくてはならない仕事が急遽入ってしまったらしい。アツシは泊まって行ってくれてかまわないと言っていたが、俺はそれを断って、宿を探すことにした。
 走り出したタクシーが街の灯りの彼方に消えたのを確認してから、俺は漫画喫茶を探して入った。狭いフラットシートのブースに寝転がって、眠気が来るまで漫画を読み続けた。
 都市のこと、神様のこと、変わっちまった親友のこと。そんな思いが頭の中をグルグル回って、読みたかったはずの漫画の内容は、これっぽっちも頭に入ってこなった。

 本倉さんは、グラスに入った水を一気に飲み干して言った。
「もしも、神様が自分を見てるとしたら、こういう格好してやりたくなったんだよ。俺なりのロックってやつさ」
 自分の服をつまんで自嘲的に笑う本倉さんの眼が、僕には少し潤んでいるように見えた。(了)

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