マサユキ・マサオ
『うそつき きつつき
きは つつかない
うそを つきつき
つき つつく』
谷川俊太郎『うそつき きつつき』より
「皆さん、嘘つきはキツツキの始まりです」
セミナーの講師は言った。ホワイトボードにもデカデカと書いた。
噓つきはキツツキの始まり、と。
あなたも、そこのあなたも嘘つきですね。
嘘つきはキツツキになってしまいますよ、こんな風に。
講師は私の口先を指示棒でツンツンと突いてきた。
何故、こんなことになったのか。何故、私の口先はくちばしの様に尖っているのか。周囲の就活生も皆一様に口を尖らせ、戸惑った表情を浮かべていた。
嘘つき、と言われてみれば、まぁそうなのだろう。
就活は面接官と就活生の騙し合いである。私は大学の先輩からそのように教わった。実際、その先輩はあるはずのない留学経験やリーダーシップを高らかと謳い、一流企業の内定を勝ち取った。
私は就職活動に臨む際、あらかじめ設定を考えておき、ボロが出ないよう注意した。実際、私は既に五つ内定を得ていたし、断りの連絡を入れた際は電話越しに引き留められたりもした。
就活と恋愛は同じ、と以前どこかの会社の人事に言われたことがある。当時は馬鹿げた話だと思ったが、就活を始めてから不思議と女の子にモテるようになった。適度な距離感、安心感、それに適度な嘘は物事を進める為の潤滑剤だった。
就活で最終試験まで残ると大体聞かれる質問がある。我が社の他に幾つ内定を得ているか、第一志望なのかどうか。そんな時、私は嘘と真実を織り交ぜて返答をしてきた。他に幾つか内定を得ていること、内定を頂ければ是非入社を検討したいこと。正直、自分でもその時はそう思っているし、後から選択肢についてじっくり考えるには必要なことだと思っている。
そもそも、この会社は第一志望どころか、選択の範疇にすら入っていなかった。もう一つ、あと一つ受けてみようかという気まぐれで受けただけのこと。それが、こんな面倒に巻き込まれるなんて。
進路についてほとんど決心しかけていたある日、偶然その求人を見つけた。一目見て怪しげな会社だなと思った。
『人生が変わる、世界が変わる、替えのきかない居場所』
そんな言葉の羅列。しかし、他社の求人と少し違ったのは、そもそも人材を募集しているわけではないことだった。
『何かを変えたいあなたへ。入社志望の有無問いません。一度足を運んでみて下さい。人生の風景が変わります』
その会社の説明会は、ちょうど大学の空きコマと重なっていた。ほんの好奇心で私は応募することにした。向かってみればごく普通の駅前のビル、よくある会議室だった。説明会と同時に面接の様なことも行った。当たり障りない質問をされ、私はいつも通りそれに答えた。
就活生の数は大体二十人程だった。私以外の就活生も、どこか面接慣れした人が多かった。きっと、内定を既にいくつか得ているに違いない。十社以上会社の面接を受けていると大体雰囲気で分かってくるのだ。
私たちは、会社のPR動画を見せられる為に、部屋を移動することになった。私は肩透かしを食らったようで集中力が切れはじめていた。こんなありきたりな、何の魅力も無い説明会に何故来てしまったのだろう。せめて何か得るものはないか、と右前に座った女の子の首筋を見つめた。白くて綺麗なうなじを見て口元が緩んだ。帰りに声をかけて、お茶にでも誘ってみようか。
そんな弛緩した気持ちで席に着く。一体何を見せられるのだろう。部屋が暗くなる。数秒の間があり、スクリーンに映し出されたのは奇妙な光景だった。それは、無数の鳥だった。具体的に言うとキツツキが樹を突いている映像だった。トントントン、トカトカトントン、トントン、と会議室に樹を突く音が響いた。その音が次第次第に大きくなり怒号の様に響き渡った。
次の瞬間、私たちは見上げる程高い木々に囲まれていた。幻想なのか現実なのか。頭上をバサバサと鳥の群れが飛び立った。黒い影が樹木の間を枯葉の様に舞った。その中で一羽だけこちらを向いて喋りかけてきた。
「キツツキは一秒間に二十回木を突きます」
「木の中の昆虫を取り出したり、巣作りをする為に木を突きます」
その声は脳内に直接送り込まれてくる様だった。
スピーカーで増幅されたような機械的な声だった。まるで立てこもり犯に呼び掛ける刑事の様に、棒読みで高圧的に響いた。
「皆さんは、今日一日で二十回以上嘘をつきました」
「皆さんは会社の内定を得たり、異性と仲良くなる為に嘘をついてきたことでしょう」
「皆さんはキツツキと同じなのです」
「キツツキと同じ皆さんは、今日からキツツキとして生きてゆくことになります」
鳥は、ゲェゲェと気味の悪い声を発して飛び立った。私は鳥の行方を目で追おうとした。しかしその次の瞬間、眩暈と共に膝から崩れ落ち意識を失った。
目が覚めると、私は元の通り会議室の椅子に座っていた。腕時計を見ると、ほんの数分しか経っていないことが分かった。おもむろに手元から視線をあげて、私は思わずぎょっとした。
両隣の就活生も、右前の女の子も、皆一様にくちばしが付いていたのだ。思わず自分の口元に手をやると、触り慣れない硬い物が付いていた。
セミナー講師だけが人間の顔をしていた。スクリーン前の壇上に立ち、彼は私たちを見下ろした。
「はい、今日から皆さんは立派なキツツキですね」
講師は汗をぬぐいながら眼鏡をクイッとあげた。私たちが全員キツツキになって満足なのか、口角が上がるのをごまかす様に唇をペロリと舐めた。
私は講師の様子を見ていたら、段々と腹が立ってきた。確かに私は面接で多少嘘を織り交ぜたかもしれない。しかし、こんな仕打ちを受ける覚えはなかった。私がくちばしを開けて文句を言おうかと思った時、先に別の男子学生が声をあげた。
「こんなのあんまりですよ! 人権侵害で訴えます」
講師は彼をせせら笑うように言った。
「鏡を見てみなさい。君が普通の人間だなんて、誰が信じるだろうね」
男子学生は、くちばしをギリギリとこすり合わせて悔しそうに涙を浮かべた。彼は私なんかより数倍は屈強な身体をしていた。きっと大学では爽やかなスポーツマンだったのだろう。それが今や、くちばしを付けた得体の知れないキツツキだった
「君達はキツツキなのだ。嘘でも樹木でも好きな様に突いて生きていきなさい」
講師は、会場全体を見渡すように言った。
先程声を上げた男子学生がぶるぶると肩を震わせていた。次の瞬間、彼は講師に向かって襲いかかった。
男子学生は講師の襟首を両手で締め上げ、講師の頭をくちばしで突きだした。コンコンコンコンッと、まるで電動工具の様な勢いで講師の頭にくちばしを打ち付けた。ギャァァッと断末魔の悲鳴が教室に響き渡った。男子学生はそれでも突くのを止めない。キツツキは一秒間に二十回木を突きます。先程の映像で言っていた通りだった。
「内定あげるからっ、助けてくれぇ。内定っ、君はっ、弊社の面接に合格しましたぁ!」
そんなことより私達を元の姿に戻しなさいよ、と教室のかしこから罵声が投げかけられた。しかし既に発狂寸前の講師に、その声は届かない。
次第、誰からともなく、一人もう一人と講師の周りに就活生が群がり始めた。デートに誘おうと思っていた女の子も衝動に駆られた様に講師に駆け寄っていき、講師の脳みそをすすった。
真っ白だった壇上のスクリーンは血飛沫を浴びて真っ赤に染まっていた。講師は既に頭の半分以上を失っていたが、口元だけが名残惜しそうにパクパクと動いていた。私は恐ろしくなって、会議室を飛び出した。
雑居ビルを飛び出すと、そこは来た時と同じ駅前だった。しかし私の知る駅前ではない様子だった。
遥か頭上、ビルの六階の窓が破裂音と共に割れた。私がセミナーを受けていた部屋だった。その窓から、見知らぬ黒い鳥が数十羽、ゲェゲェと鳴き声をあげて飛び立った。私は鳥の行方を目で追った。彼らは一目散に、南へ向かって飛んでいった。見慣れた駅のホームの向こうに、巨大な塔が建っていた。
気付くと、空一面を鳥が覆いつくしていた。鳥たちはすべて、塔に向かって飛んでいる様子だった。鳥を眺めているうち、私はいても立ってもいられなくなって、彼らの飛ぶ方角に駆け出していた。私も早く、あの塔に行かねばならない。理由は分からないが、とにかくそれが私の使命なのだ。
高ぶった気持ちを抑えようと深呼吸した途端、私の口からゲェゲェと奇声が発せられた。あの鳥たちと同じ鳴き声だった。背中から翼が生えてくるのを感じた。そうして、今にも羽ばたこうかという時、突然路地からとび出してきた女に腕を掴まれた。
私は彼女に見覚えがあった。それは元恋人だった。五歳年上で、一年程前に三ヶ月だけ付き合って別れたはずだ。
「そっちに行っちゃ駄目よ」
女は私の腕を引っ張りながら走った。足がもつれ、よろける。彼女のことは勿論分かるのだが、名前が思い出せない。彼女とは街コンで知り合った。都合の良さそうな女という印象で付き合いだしたのだが、とにかく面倒な女だった。スマホの中身を執拗にチェックしてくるし、デートに遅刻すると一日中機嫌が悪かった。確か、一度身体の関係を持ったら途端に冷めてしまったのだ。
走っている最中、こっそりラインのフレンドリストを確認した。三度見返しても、彼女らしき名前は無かった。もしかして、と思いブロックリストの方をチェックすると「さゆり」という名前を思い出した。私にとって、さゆりとはその程度の関係だった。それでも、この理解不能な状況では彼女にすがるしかなかった。
気付くと、私たちはさゆりの暮らすアパートの前に立っていた。
「早く、私の部屋に来て」
次から次へと出来事が進んでゆく。私の意志とは無関係に、世界が少しずつおかしな方向に変化している。
「ちょっと待ってよ」
私はさゆりの手を振り解いた。一度深呼吸がしたかった。
なによ、と不貞腐れた顔でさゆりは私をにらんだ。
「あのね、キツツキになってしまったあなたをかくまってくれる人間なんて私の他に居ないのよ。分かるかしら?」
確かに私はキツツキになってしまった。それは絶望的な状況であり、さゆりに身を任せる他無いのかもしれない。それでも、何かがおかしい。世界の秩序や法則とかそんな大それたものではなく、もっと根本的に。何故あの路地で私を待ち構えていたのか。すべては仕組まれたものではないのか。
「あれを見て」
さゆりが塔の方向を指さした。ゴォゴォと地響きがした。塔の根元からモクモクと煙があがっていた。塔の窓の一つ一つがネオンのように点滅している。私はそれと似た様をニュースで見たことがあった。サイズは違うが、ロケットの打ち上げ前の様子だ。夕闇に佇むその巨大な建造物は塔ではなかったのだ。
「就活ばかりしてるくせにニュース見てないの? 嘘つきはキツツキにされて、月に送られることになったのよ」
巨大なロケット。宇宙船と言った方が良いだろうか。見つめていると、私は今にも駆け出しそうな衝動に駆られる。改めてさゆりの手が私の腕をがっちりと掴んできた。そうだ、さゆりは付き合っていた頃も妙に押しが強かったのだ。私は抵抗する気も失くし、さゆりのアパートに引きずり込まれた。
ちょっと待っていなさい、と言いさゆりは台所からアルミホイルを持ってきた。私は椅子に座らされて、頭にアルミホイルをぐるぐる巻きにされた。あの宇宙船から飛んでくる電波がキツツキ化を促進して、引き寄せる効果もあるらしい。
これでしばらくは大丈夫ね、とさゆりは言った。私は次第に、さゆりの存在が頼もしく思えてきた。
「月に連行されたキツツキは一体どうなるんだい?」
「レアメタルの採掘をさせられるのよ」
「どうやって?」
「くちばしで突くに決まってるじゃない」
不意に地響きの波長が変わった。
「あなたほら、そろそろ打ち上げよ」
地平線上の夕陽が深い紅から紺色に変化しつつあった。鳥たちはもう居ない。摩天楼の様なその巨大ロケットが、街を揺らし大気を揺らし、離陸しようとしている。
「これは始まりに過ぎないわ。あなたもいつか、月に送られるのかしらね」
でもね、大変なの。放射線を日夜浴びて癌になるかもしれない。あなたが大好きなお寿司や焼肉も一生たべられない。あなたがいくら嘘つきだからって、月に送られたくなんかないでしょ?
「キツツキになってしまった嘘つきが月に送られないようにする方法を一つだけあなたに教えてあげる」
さゆりが私の指に自分の指を絡ませてきた。
「正直者と結婚することよ」
『人生が変わる、世界が変わる、替えのきかない居場所』
不意に、あの怪しい求人の謳い文句が頭の中を過った。そうか、これがそうゆうことか。私は曖昧に浮かせていたその指を、数秒かけてゆっくりと握り返した。
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