様々な国の、伝説、昔話、童話、寓話、噂話、怪談、奇談、都市伝説、体験談が語られ、そのたびに青い灯りが一つずつ消えていった。
100話目を秋子が語り終えた時には、残ったただ1つの明かりが、秋子の前でかすかな青い光を放ち続けていた。部屋を照らす力は全くなく、自分が置かれている机の上さえ、かろうじて見えるようにしているだけだ。真っ暗な深海の暗闇の中に浮かぶ、孤独な生物のようにも見える。
「これで100話目……」
秋子が言った。人の顔は全く見えないので、声だけで誰かの見当をつけるしかない。
「それで、灯り消しちゃう?」
メイがワクワクしているような声で聞く。話を99話で止めて、怪異が起きないようにする方法もある。100話目は既に話してしまったが、まだ灯りを消していない。何か起きるとすれば、これを消した後だろう。残った最後の光を消して周囲を真の暗闇で満たすのは、怪異が起きるかどうかに関わらずなかなかに怖い。
「もう100個話しちゃったしね。せっかくだからやってみるわ」
「あ、念のため懐中電灯を持っておきます。電気つける時に困るので……」
アントニオがそういった時、唐突に灯りが消えた。周囲が完全な暗闇で満たされる。わずかに見えていた机の様子さえ黒で塗りつぶされた。
「おい、いきなり消すなよ」
「私まだ消してないよ?」
「秋さん、ちょっとそういう冗談は……」
「いや、違うから」
「電気っていつ点けたらいいの?」
「皿とかひっくり返さないように気を付けてください」
「ルシフェラーゼが無くなったんじゃないのか?」
「減ったら光が弱って消えていくよ。こんないきなり消える仕組みじゃないんだけど」
皆があれこれ言い始める。仕方ないので懐中電灯を……。誠がそう言いかけたとき、けたたましい警報音が響き渡り始めた。人間の神経を逆なでするように設計されたサイレン音が、真っ暗な空間で乱反射して全員の感覚を混乱させた。
「え、何? どうなってんの?」
「おい、落ち着け! アレックスか誠。君らのところに懐中電灯があっただろ。それを……」
動転しそうになっているシアンの声に被せて、事態を把握しようとするジャックの指示が飛ぶ。それをさらに上書きするように、人工の音声が響いた。
『外壁に損傷確認。隔壁を閉鎖します』
「おいおいおい、マジかよ!」
アレックスらしき声がする。誠の心臓も飛び上がりそうになった。基地のどこかに穴が開いたということか。居住スペースは全部地下なので、地上が壊れたとしても穴が開いた部分だけ閉鎖すれば何とかなる。だが、それで絶対安全だという保証もない。
「メインフレーム、損傷個所を報告しろ! おい、誰でもいいから懐中電灯か灯りをつけるんだ」
ジャックの声が大きくなる。誠は百物語を始める前に確かめておいた場所を手探りし始めた。
『損傷個所、左ウィング上方。断熱パネルが脱落。機内気圧の低下を確認』
「は?」
「高度と速度を下げろ! 緊急エアバッグ作動システムをオンラインにするんだ!」
『損傷個所が拡大。機体強度40%。低下中、低下中、低下中……』
誰かが悲鳴を上げ、別の誰かが喚く。誠の手が懐中電灯を探り当てた。スイッチを入れると、高照度LEDの光があふれ、思わず誠は目をつぶった。
目を開けると、部屋の中の様子がかなり見えるようになっていた。ライトをランタンモードにして全部の方向に光が行くようにする。見たところでは誰も問題なく、部屋の中におかしなことは起こっていなかった。あの警報音も悲鳴も、いつの間にか止まっている。
「みんな無事か?」
ジャックが尋ね、全員がそれに答えた。
「とりあえず、電気をつけます」
アントニオが全体の電気を灯すと、百物語を始める前の会議室の光景が戻ってきた。何も問題がない。軽食が無くなって、灯りの水から光が失われている点だけが違っている。問題がありそうなのは、灯りのボトルがいくつかひっくり返って、周りが水で濡れていることぐらいだ。
「あれ? 誰かそっち行ってなかった?」
秋子が入口の方を示す。だが、部屋の中にいるメンバーは、それぞれの席のところにいる。立ち上がったぐらいで、大きく動いている者はいなかった。
「誰だよ、高度を下げろとか、緊急エアバッグとか言った奴。飛行機じゃねーんだぞ。ギャーギャー言ってたし。ビビりすぎだろ」
「男の声だったよね。ビビりで一番怪しいのはあんただけど……」
メイが疑わしげな眼をアレックスに向け、アレックスがむすっとした表情を返した。
ひとまずその話は置いておくことにして、ジャックが机の端末を起動し、基地を管理する管理システムを呼び出した。コマンドを音声認識にして、施設の管理システムに接続する。
「バイタル関連設備のハザードログ表示。1時間以内」
『ありません』
「施設外壁の損傷に関するログ。1時間以内」
『ありません』
「居住および作業区域で、気圧、大気成分に異常のある個所を報告」
『ありません』
「さっき、お前がいろいろ言っていたのは何だったんだよ」
コンピューターの癖に物忘れか。アレックスがそうぼやいた時、メイが声を上げた。
「さっき聞こえてきた声ってさ、うちの会社が使ってるシステムの奴じゃないよね。警報もあんな音したっけ?」
全員の動きが止まった。あの時に聞こえてきたサイレンの音は、避難訓練などで耳にしてきた物と違っている。音声もジャックの質問に『ありません』と答えたそれとは違っていた。
「それに……、損傷個所が左ウィングとか言っていたよね。アレックスが言った通り……、飛行機?」
誠はうなじに嫌な汗がにじんでくるのを感じた。
「そうだ。カメラがあります」
アントニオが天井を指した。緩やかなカーブを描く天井の中心に、半球形の複眼式360度カメラが据えられている。半球の表面に多数の光学素子が並んでおり、それらから得た情報を統合して記録する一般的なタイプだ。昔の首振り式カメラと違って死角がない。何かが映っているはずだ。
「セキュリティ映像呼び出し。会議室。30分前から現在まで」
ジャックの言葉に従って、システムが画面にカメラの映像を表示した。カメラから見たすべての方向の映像が5分割されている。30分前の時点ではもうほとんどの青い灯りが消えて、映像は暗視用の低光量モードになっている。この時点で話しているのはアントニオだ。
ジャックが画面下のシークバーを操作して時間を進めていく。明かりがどんどん消えていき、秋子が話し終えた。その直後、突如として画面にブロックノイズが走り、音声が乱れた。声が飛び飛びになって聞こえるが、それが誰の物なのか、合成音声なのか、それとも警告音の切れ端なのか判別できない。下のシークバーとタイムコードだけが、画面の中で時間が流れている様子を示している。
短い混乱の時間が過ぎるとブロックノイズが減り、画面の中で明かりが点いた。ノイズが少しだけ残っていたが、それもすぐに消えてなくなった。あとは、誠たちが周囲を不安そうに見回して、何が起こったのかを話し合う様子が普通に再生された。
「ねえ、ちょっと戻して。なんか変なもんが映ってた気がする。電気がついた時。入り口のあたり」
秋子が指示を出した。ジャックがコマ送りで映像を戻し始める。
「ストップ」
アントニオが灯りをつけた瞬間のところで動画が止まった。画像を見たジャックと秋子が眉をしかめ、すぐに全員が同じ表情を見せることになった。
「これ……。いや、こいつら……。何だ?」
ジャック、アントニオ、メイ、誠、アレックス、秋子。全員がそれぞれ画面に映っている。この基地にいる全員だ。少なくとも周囲100km以内には、この6人以外の人間はいないはずだ。
だが、画像の中にはそれ以外の人間がいた。誠の背後、アレックスの隣、秋子の斜め後ろ。入り口にも下半身が映っている。影の具合から、まだ2人ほどが廊下にいるように見える。合計で6人。
誠は思わず自分の後ろを見た。当然、誰もいなかった。
「……セキュリティチェック。施設内および周辺部に、部外者の有無を確認」
『了解。スキャン開始』
押し殺した声でジャックが命じると、無感情な合成音声が応答した。
システムが施設中のカメラやセンサーで人間を探す間、誠はもう一度画面に見入った。
アングルやブロックノイズの関係から、顔が映っている者はいない。胸から下がせいぜいだ。光量が急に変化した瞬間なので色ははっきりわからないが、白い屋外作業服――つまりは宇宙服を着ているように見える。
「少し古いタイプの服だな……。今どき、こんな分厚いの使ってる会社はないぞ。20年ぐらい前のモデルじゃないか」
機体外壁に損傷。飛行機。20年前の宇宙服を着た6人。
ジャックが映像をコマ送りで再生すると、6つの人影はあるフレームを境にすべて消失した。
『スキャンを完了しました。当施設には6名の従業員がいます。IDの照合が出来ない人員は存在しません』
誠は部屋の温度が急に下がったような気がした。会議室には自分たちはいないはずだが、辺りを見回すのが怖かった。これからはトイレに行くにも怯える羽目になるかもしれない。
「今回のイベントは……、やらない方が良かったかもね……」
秋子が珍しく失敗を認めた。全員が無言の肯定を返した。
怪異は100話目の後に

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