怪異は100話目の後に

小川秋子

 私が12歳の時の話。私の父方の祖父母は山に近い田舎に住んでいて、夏休みとか長い休みになると、両親と弟と一緒にそっちに旅行したの。まあ山の中って言っても実は温泉地で、リゾートとかで開発もある程度されていたから、そんなにアクセスが不便でもなかったけどね。
 日本の山って結構動物が多くて、山に近い所だとクマとかイノシシとか、シカとかサルとかがしょっちゅう出てくるの。30年ぐらい前に草食動物の個体数調整のためにオオカミを再導入したけど、それでも限界があるわね。
 そんなんだから、農作物とかに被害が出て、それで補助金目当てに猟師さん出張ることもちょくちょくあって。お爺ちゃんのところでも、温泉街から少し離れたところに鉄砲店とか射撃場もあったの。お爺ちゃん自身も銃を持っていたわね。空気銃と散弾銃。ライフルまで。
 日本だと散弾銃の免許を取って、さらに3年経たないとライフルを持てないんだけど、昔は10年以上経たないとだめだったんだったの。結構なベテランのハンターだったってことね。
 それで冬の猟期になると山に入って、補助金と旅館で出す食材とをゲットしに行くことになっていたの。それで私も面白そうだからって、旅行の時にはお爺ちゃんに引っ付いて山に入っていったわ。
 大抵の場合、山に入って1時間から2時間ほど歩いてると、お爺ちゃんが立ち止まって“ちょっと待ってなさい”って言う。それから銃を下ろして装填してズドン。もしくは空気銃でバスっと一発。銃を向けた方に歩いていくと、鳥とかウサギが死んでいた。
 親戚のおじさんとか、地元の猟友会の人が一緒の時は、何人かで運べるもう少し大きい得物を撃ったわね。一番大きいのはツキノワグマだったな。
 危ないってことで両親はあんまりいい顔をしなかったみたいだけれど、お爺ちゃんのそばから絶対離れなかったし、遠距離から一発で仕留めるやり方だったから、獲物に近づくこともなかったし、足場が悪いところに近づく必要さえなかったわね。電話と無線とGPSは絶対に持っていたし。
 夏は猟の代わりに川魚を釣ったな。とりあえずそうやって、生き物とかご飯についていろいろ知る機会があったってわけ。
 前置きはそれぐらいで、山って人里とは違う“異界”だから、そこに足を踏み入れる人たちが変な体験をするっていう話はすごく多かったわけ。21世紀にもなると昔の人ほど信心やら怪奇現象やらに拘ることはなくなってるんだけど、それでもちょっと変な体験をする人は少なからずいたみたいね。
 お爺ちゃんはハンターとしてベテランだから、やっぱりそういうのを見聞きしたことも多くて、いろいろ話してくれたな。私が一緒にいる時は山の奥深くまでは入らなかったし、狩猟は昼間にしか許可されないから、そういうのが起こることはなかったけど。ただ、一回だけそういうのを体験したというか、見たことがあったの。
 その時は11月に入ったばっかりで、雪が降るまでは少し余裕があるぐらいの時期だった。この時期だとイノシシとかは太って美味しくなるから、他のハンターもぼちぼち山に入ってるシーズンだったの。間違えて撃たれると困るから、皆分かりやすいオレンジの服のベストとか上着とかを着ていたわ。これは世界共通のスタイルね。
 大きめの哺乳類が相手になる可能性もあるから、お爺ちゃんは散弾銃とライフルを一丁ずつ持っていた。私はオレンジの服に大きめの飾りまで付けて、お爺ちゃんのベルトの後ろにつなげたロープを握ってついていってたな。そうやって山に入ってから1時間ぐらいして、鳥を何羽か仕留めた後の時だった。
 私も獲物を探して色々見ていると、結構遠くの方に何か動いているのを見つけたの。シカだとおじさんを呼ばないと持って帰るのは難しいけど、ハンバーグは食べたいなとか思って、お爺ちゃんに合図して止まってもらった。それで一緒に双眼鏡を出して観察したけど、どうも変な気がして。
 シカっていうには色が薄い気がしたし、毛がやけに少ないというか短いというか。人間じゃないのは確かだったけど。四つ足だと思うし、服はみんなオレンジの服だし、人間だとすると素っ裸じゃないとおかしい色合いだったし。
 双眼鏡で見ながら、なんじゃいあれは? 禿げたクマかな? クマにしちゃ細いし、足とか長くない?とか考えてると、突然にお爺ちゃんが立ち上がってライフルを撃ったの。
 これまでは一匹の獲物に一発しか撃ったところしか見たことがなかったんだけど、その時は装填していた5発を一気に撃ち尽くして。弾切れになったらクリップで装填して、それも何発か撃って。
 大人になってから私も射撃はしたことがあるけど、知っている限りでボルトアクションの連射の最速記録は、今でもあの時のお爺ちゃんだわ。
 さすがにびっくりして双眼鏡から目を放して、“あれ”を撃ったんだってわかったら、そいつがいた所をまた見たんだけど、何もいなくなっていたの。仕留めて下生えに隠れて見えないのかなって思ったけど、お爺ちゃんは逃がしたって言った。一撃必殺のところしか見たことなかったお爺ちゃんが、あれだけ撃って仕留め損ねたってことも驚いたけれど、そもそもあれは何なのって話よねえ。あれだけ撃たれて生きているとか、ホラーゲームのクリーチャーじゃないんだから。
 お爺ちゃんに聞いたけど、お爺ちゃん自身も何かよく知らないって。ただかなり昔の世代から、時折“あれ”が山の中に出て、近づきすぎるとろくな目に遭わないとか言われていたらしいわ。
 お爺ちゃんも40年ぐらい前に一回見ただけだった。その時はいつの間にか後ろに来られていて、犬が殺されて友達が大けがしたって。鞭みたいなもんで叩かれたみたいな傷が出来て、酷く爛れたりするとかなんとか。その時も撃とうとしたみたいだけど、よく見る前に逃げられたんで、見つけたら撃ってやろうってずっと思っていたみたい。
 めったに見ないからちゃんとした調査とかはできないし、単一の存在なのか、そういう種類の物なのか、全然わからないけれど。とりあえず碌なもんじゃないのは分かり切っているから、この辺の猟師さんの間だと、見つけたらとりあえず撃って追い払うか、可能なら殺してしまえって相手らしいわね。仕留めたって人はいないみたいだけど。
 未確認生命体クリプティッドみたいな物かな? お爺ちゃんとみたいに、山に入る人の間のうわさ話みたいなもので、実際に見た人なんてほとんどいないから、私の両親も知らなかったわね。
 私はそれからもう一回だけ見たことがあったな。大人になってお爺ちゃんの家に行ったとき。夜が明けていないときに、家の前の道路をうろうろしている“あれ”がいたの。暗かったし生け垣が邪魔だったから、やっぱりよく見えなかったけど。
 もしかして、こいつって自分を撃った相手を憶えていて、どうにかして家を嗅ぎつけたのかなとか思ったな。その時には私も銃の免許持ってたけど、勝手にお爺ちゃんの銃借りるのもアレだし、害獣からの防衛って言っても町中で撃つのは駄目だしなーとか考えてると、いつの間にか消えちゃった。
 後でお爺ちゃんに話したら、人里についてくるって話は聞いたことぐらいはあったけど、自分の知っている範囲で実際に見聞きした人は初めてだって。撃った相手が年取って弱ってきたのが分かっているのかもしれんなあとか笑っていたな。やっぱりあの時に、銃を持ちだしてブチ殺しておけば良かったかなとか思ったけど。
 ちなみに、お爺ちゃんは今でも相変わらず元気ね。お婆ちゃんも同じ。まだしばらくは死にそうにないわね。

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