怪異は100話目の後に

氷川省吾

 人類が火星に降り立ってからすでに40年以上が過ぎた。企業が資源を採掘するための足場を築き、従業員がそれぞれの仕事を行ってレアメタルや希少土類、燃料の原料を見つけている。
火星の資源採掘を行う企業の一つ、NUT社で働く長池誠は、メタン採掘施設建設基地においてモニターをながめ続けていた。画面には、砂嵐の中を行くボットのカメラが捉えた映像が表示されている。
 モニター越しに見る景色は極めて視界が悪い。非常に細かいダストが舞い上がり、太陽光パネルの上に積もって発電効率を下げ、フィルターの目を詰まらせ、機械の隙間に入って作動不良やショートを引き起こす。
 火星の野外で使われる機械には入念な防塵対策が施されてはいるものの、少しでもすき間があればすぐに故障する。そのたび、人間が屋内に引っ張り込んで修理してやらなくてはいけなくなる。
 誠たちがやっているのは、採掘予定地に施設を建設するロボットを監督する業務だ。本部から送られるユニット化された資材などを、事前に送られている機械がプログラムに従って組み上げる。人間は機械が正しい場所に物を置き始めるかどうか、おかしな方向に進まないかどうかをチェックしつつ、不具合があった時はそれを修正する。
 この日もそんな〝不具合〟が起こった。砂嵐の予報があったのでロボットを格納エリアに戻そうとしたが、その前に砂嵐に見舞われた。大半は自力で所定の場所に帰還したが、4足歩行型の軽作業モデルが道に迷って異常発生のシグナルを送ってきた。イヌほどの大きさで、背中にマニピュレーターを付けたモデルだ。小回りが利くが軽いので、下手をすれば飛ばされてしまう。
 単独では帰れそうにないので、他のボットで回収することになった。なるべくパワーのある履帯駆動の中型モデルを、半自動モードで信号の発信位置に送り込む。二重遭難を避けるため、送り込むのは1体だけだ。回収役のボットに異常が生じれば、即座に引き返させるつもりでいる。誠のやることは、ボットの地形レーダーと赤外線カメラ、機体の情報を監視し、ボットがどう進むべきか、引くべきか進むべきかを決定することだ。
 画面の中の砂嵐はますますひどくなっている。火星ではしょっちゅう砂嵐が起こる。特に夏になると大気が暖まるので、今日の様な激しい砂嵐が発生しやすくなる。
 火星には夏があれば冬もある。火星の地軸は地球と同じように傾いているので、時期によって太陽までの距離が変化する。つまり、一年の内で寒い時期と熱い時期、そしてその間という「四季」が生じる。
 だからと言って、火星に住んでいる人間が「季節感」を得ることはない。生活するのは有害な宇宙線を避けるための半地下住居の中。もちろん温度は常に一定に保たれている。真冬になろうが真夏になろうが、暑いも寒いも無縁の世界だ。
 赤茶けた大地には、新芽や花をのぞかせる草木もなければ、虫も鳥もいない。季節の変化を示すのは、冬の極地方に降るドライアイスの雪か、誠がモニター越しに眺めているような砂嵐だけだ。無味乾燥すぎるせいで火星の労働者の間でのうつ病の発症が問題になっており、企業はその対応に苦慮している。
 そうした環境で、日常とは少し違うイベントの発生はありがたい刺激になる。たとえそれがトラブルであっても、命に関係するような内容でなければレクリエーションに成りえる。
 誠はゲームのハードモードをプレイするときの様に画面を真剣に凝視し、ボットを信号の地点に近づけていく。(残念なことに)何事もなく、横転したまま半ば砂に埋まりかけている四足歩行型を発見した。ボットのアームで引っ張り出して荷台に乗せ、同じルートを辿って帰ってくるように命令する。行きに問題が無ければ、帰りは放っておいても大丈夫だろう。
 本当に何でもなかった。正直言ってつまらないと感じて画面を見つめていると、砂嵐の中に妙なものが見えた。10m程度先に、細長い物が5つほど立っている。高さが1.5~2mぐらいだろうか。
 行きにはそんなものはなかった。見落としたはずもない。ならば帰りのルートを違えたか。遭難したボットを助けに行って、帰りに道に迷わせるのは間抜け極まりない。
 だが、移動ログと地形レーダーを見比べてみても、ボットは正しいルートを取っていることを示している。
 奇妙なことに、赤外線カメラの画像では物体の影がぼんやりと見えているが、それ以上に探知距離に優れたレーダーには反応がない。誠はボットの移動速度を少し落とし、細長い物にカメラをズームした。
心なしか、人間の姿に見える。大きさと言い、ぼんやりとだが判別できるシルエットと言い、やはり人間そっくりだ。だが周囲100km以内にいる人間は、誠ら建設基地の職員6人だけだ。こんな日に外に出るようなバカは誰もいない。
 ボット側のノイズかと思った時、画面の中で影が動いた。足を動かして。画面内を右から左へと。
 誠はぎょっとしてボットを停止させた。カメラ側の動きが止まったにもかかわらず、画面に映る影は動いている。
 機械の不調か、それともだれか本当にいるのか。たしかめるためにボットを近づかせようとしたとき、急にカメラが真っ暗になった。ブラックアウトかと思ったが、ボットのすぐ前を何かが横切っているのだと分かった。
 再び視界が戻った時――目の前を何かが通り過ぎた後――歩く影は全て消えていた。カメラとレーダーで周囲を探ったが、先ほど見た物は影も形もない。ボットの周囲では、いつものように何もない世界で砂嵐が吹き荒れるだけだった。

「で、幽霊を見たと」
 全員が集まる夕食の席で、同僚のアレックス・ボーンは誠の話を聞くなりそういった。今日のメインディッシュはナスのミートソースパスタ。調理と医療を担当するアントニオ・コンテの得意料理だった。肉はフリーズドライされた合成たんぱく質だが、トマトとナスは温室で水耕栽培されている。
「いや、別に幽霊だと思っているとかそういうわけじゃ……」
 誠としては、モニター越しに人影のような物を見たとしか言えることはないが、手っ取り早く言うなら幽霊なのかもしれない。
「録画はどうだ?」
 この現場をまとめる班長のジャック・アンドレが聞いてきた。幽霊かどうかというより、異常がある場合は現場責任者として把握しておかなくてはならないと考えてのことらしい。
「ないです。三角測量の位置データしかログを取ってなかったので。砂嵐を録画しても意味ないですから……」
「つまんないのー」
 鉱物採掘の専門家であるシアン・メイがヤジを飛ばした。誠としても録画しておけばよかったと思ったが、いまさら言ってもどうにもならない。
「火星で幽霊話しても実感が全然ないな」
 アレックスは誠の話を幽霊話ということにしたらしい。
「亡くなった人なんて50人未満だしね」
 メイが後を続けた。現時点で火星にいる人間の数は2千人弱。訪れた人間の総計は7千人にも満たない。障害や基礎疾患もない健康な人間だけが勤務でき、危険な建築作業は全部ロボットにやらせているとなると、人が死ぬことはあまりない。悲惨な事故が起こったこともあるが、幽霊話は生じていない。
「この場所で死んだ人もいないしー」
「ここで仕事した前の2班は、みんな生きてるからな」
 火星に人類が降り立って以来、誠たちがいるこの基地に足を踏み入れたのは、最初に現地調査に来たチームと、設備が設置されて先に仕事をした2班だけだ。事故も何もなかったし、全員生きて火星や地球で仕事を続けている。
「ただ、上空でなら人が亡くなっていますね」
 アントニオが上を指さし、ジャックが頷いた。
「20年ぐらい前だったかな。ライアン・コーポレーションの低軌道シャトルの実験で6人が死んだ。空中分解したらしい」
「有名な話ですね」
 火星との往復に使われている比推力可変型プラズマ推進機VASIMRを、通常の輸送サービス用航空機に使えるようにするための実験だった。だが飛行中にボルト一本折れて内部の空気が急激に放出され、機体が耐えられずに破壊された。中に人を乗せる飛行機であるが故の事故だった。
「分解したのは、ここの真上に近い場所だったらしいが……」
「飛行機が壊れたのが真上なら、遺体とか機体の破片は全然違うところに落ちるけど」
 上空から投げ出され、慣性で前方に飛ばされながら落ちていくの様子を手で再現しながら、アレックスが言った。
「つーことは、誠が幽霊を見たって言っても、ホラー話としちゃ全然だめってわけだ」
「別に怖がってほしかったとか、そんなわけじゃないんだけど……」
 誠にしてみれば、何かけなされたような気分になった。
「真下を掘ったら謎の宇宙飛行士の死体が見つかるかもね」
 メイが下を指して言った。その話で、誠は有名なSFのストーリーを思い出した。
「身元不明で、死亡したのは5万年前ですかね」
「宇宙服は真っ赤で。場所が月じゃないけど」
「何の話なんだよ?」
 メイと誠の言っていることが理解できないアレックスが聞いてきた。
「ジェイムズ・ホーガンの『星を継ぐもの』。超有名SF文学。知らない?」
「俺は映画派だ」
 地球とのネットがつながりにくい上に基地も狭い火星では、データサーバーに収められた大量の書籍や映像が娯楽として活躍している。アレックスはあまり本を読まないタイプということになる。
「まあ、こんな狭い場所でちまちま仕事してたら、面白い話の一つでも欲しくなるわな」
 アレックスが背もたれに背中を預け、ふんぞり返って天井を仰いだ。
 採掘基地――というより火星での生活は地球に比べると退屈だ。変化のない人工的な環境でしか生きられない以上、当然ながら面白いことも少なくなる。トラブルがあっても困るが、あまりに何もないのも辛い。
 そんな状況で“面白い話”を作り出せる人間は重宝される。食料の生産研究を行う上級研究員の小川秋子は、そうした(意味不明な)話題を量産する人物だ。二十代の前半で複数の博士号を獲得した才媛だが、その才能を自分の思い付きのために濫用する。
 その彼女が、珍しく何も言っていない。いつもならイカレたアイデアを放出するか、誠をおちょくるか、耳に痛い皮肉を誰かにぶっ刺すかのどれかなのだが、今は目を宙に向けて黙っている。
「秋さん、どうしました?」
 誠が話しかけると、秋子はくるりと振り向いた。
「百物語をしよう」

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