ジェニー夫人

山中隆司

 今年で三十五歳になる。安楽椅子に座り、サイドテーブルに置かれている手紙を開封した。毎年、ライラックが咲くころになるとバラのスタンプが押された手紙が送られてくる。

 親愛なるジェニファー・チャンドラー様という流麗な筆記体を見たときに懐かしさで涙が溢れる。差出人は夫のクラーク・チャンドラー。夫は五年前に交通事故で亡くなっている。
 呼鈴がなる。先ほど、郵便配達員から手紙を受けとっているのに誰が来たのだろうか? 
 魚眼レンズから外を覗くと手紙を届けに来た郵便配達員が立っていた。
「先ほど手紙は受け取りましたが。届け忘れたものでもあるのでしょうか?」
「いえ、個人的に話したいことがありまして、ジェニファーさん」
 なぜ私の名前を知っているのかと一瞬考えたが、彼は郵便配達員でついさっき手紙を届けに来ている。その時に名前と姿を見ていたのだろう。
「ジェニーと呼んでちょうだい」
「ジェニーさん。いまから散歩に行きませんか? クラークさんについてお話したいことがあります」
「帰ってください。クラークは不幸な事故で亡くなりました。それだけです。あなたに何が分かるんですか」
「分かりました。では、また、会いましょう」
 彼が居なくなるのを見届けてからふと我に返る。さっき彼はまた、会いましょうと言っていた。また、会いにくるのだろう。
 その彼がまたやってきたのはちょうど一週間後のことであった。
「まえに言ったように会いに来ました。家に入ってもよろしいでしょうか?」
「今、家が散らかっていますので、またにしていただけないでしょうか」
 先ほど掃除したばかりなので、家が散らかってないのが明らかである。彼は奥をみて言った。
「では、ご一緒に散歩にでも行きませんか」
「今、料理をしていますのでまたにしていただけませんか?」
 ちょうど、呼鈴がなった時、ちょうどチョップドサラダのためにキュウリを叩いていた。
「外で待っていますので、都合がよくなりましたら外に来てください」
 どうやら、彼はどうしても私と話したいらしい。仕方がない。ため息をついてからいう。
「分かりました。ではどちらにいけばよろしいんですか」
 彼は頷いてから手を差し出した。
 ふとクラークが言っていたことを思い出した。夫のいうところでは家まで押しかけて散歩に誘うなんて安っぽい口説き文句で、付き合う必要はないらしい。事実、私はよく男性に口説かれていた。男性にとって私は魅力的なのだろうか? 
 男性と並んで歩くなんて何年ぶりだろう。この道をまっすぐに進むとあの事故があった交差点に着く。その奥にはガーデンパークがある。あの日以来、あそこに行こうと思ったことはない。あそこに行けば泣いてしまうと思っているからだ。
「あれから、五年経つんですよね?」
 彼がこういった時に驚かなかった。
「あなたは一体、クラークどのような関係なんですか?」
「ああ、それなら。彼とは病院で知り合った。同じ病室に僕も入院していてね。話しているうちに仲良くなったんだ」
 それは知らなかった。クラークが交通事項に遭った時。私は地球の裏側に来ていた。電話でその知らせを聞いて、急いで病院に向かった。
「退院したら家に招待するよと笑っていたよ。でもその後すぐに彼は亡くなってしまったけどね。最期にあなたのことをたのむと言われた」
「じゃあ、毎年送られてくる手紙は?」
「あれは亡くなることを察した彼が五通の手紙を残した。あなたの誕生日に手紙をとどけているんだ。手紙はあれで最後です。あなたに毎年、手紙を届けるだけでは我慢できなくなりました。ジェニーさん、これで私は失礼します」

 公園の植え込みには満開のライラックが咲いていた。

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