なんでもヒットマン

氷川省吾

 私のビジネスは、その日もいつものようにうまく進んでいた。商売が計画通りに進んでいることに満足した私は、電話を置いて秘書を帰らせ、その日“業務”を終わらせた。
 私の仕事場は自宅でもあるマンションのペントハウス。必要がない限りはここから出ることはない。必要な物はすべてそろっているし、足りないなら秘書に言うか、電話一つで持ってこさせられる。
 ラウンジに行って、ミニバーの棚からブランデーを取った。ヘネシーのパラディ。千ドルの高級品だ。これを遠慮なく消費できるのが、私のビジネスがうまくいっていることを示している。
 今日販売したのは、ロシア製の携帯式地対空ミサイルを20セット分。これを東欧の民兵組織へ届け、入金が確認された。
 先月は旧ソ連製攻撃ヘリのサードパーティー製近代化改修セットを1個飛行隊分、東南アジアの陸軍へ。それと並行して、アメリカ製の第三+世代暗視装置をヨーロッパの民間軍事企業へ。
 私が取り扱っているものは、一言で表すならば軍需品だ。
 自分で作った物を売るのではなく、売りたいと思っている側から買い付け、必要としている顧客に売り渡す。ディーラーとして様々な客へと物資を融通するのが私のビジネスだ。武器商人ではあるが、武器兵器の本体のみならず、あらゆるものを扱う。銃の照準器、ボディアーマー、車両の装甲化モジュール、戦闘機の予備部品、暴徒鎮圧用の非殺傷接近阻止システム、装甲車の電子機器、その他もろもろ。大量破壊兵器や最新の大がかりなシステム以外なら、たいていの物は取り扱っている。
 私がこの商売に関わってきたのは、まだ学校に通う前の子供のころからだった。私の父はある組織、つまるところマフィアの類の中で、武器の調達係を営んでいた。主に第三世界の軍事・警察組織から放出された余剰品や、横流しされた、あるいは故買屋や質屋から流された銃、弾薬、その他軍需品を組の武器や資金源として取り扱っていた。
 警察のガサ入れを避けるため、父は“商品”の保管場所をしょっちゅう移動させていた。幼かった私は父の“お手伝い”として、中身も知らない箱をバンやトラックの荷台に移す作業をやっていた。
 学校にはあまり行かなかったが、読み書き計算、その他さまざまな知識を学ぶ機会には事欠かなかった。複数の外国語、帳簿の知識、 “商品” 取引の方法。学校では学べないことも多かった。
 25歳の時に父が取引時のトラブルで撃ち殺され、後を継ぐことになった。最初は銃だけだったが、様々な機会を得て扱う商品の規模を拡大し、今では一国の軍隊の装備に関わるまでになっている。もちろん、単純に自分の商才だけでなく、私が持たざる技能を有する人材と巡り会えたところも大きい。
 もうそろそろ60になるが、まだしばらくは続けていける。引退しても、このブランデーを嗜むのに不自由することはないだろう。

 グラスを取ってソファに行こうと振り向いた時、そこに誰かが座っているのが目に入った。全く気配がなく、まるで最初からそこにいたのを私が見逃したかのように。
 体がびくりとすくみ上り、ボトルとグラスを落としかけたが、何とか踏みとどまった。
「高いんだろ。落としなさんなよ」
 いるのは当然だと言わんばかりの落ち着いた様子で、ソファに座っている人物はボトルを指さした。そこにいた人物――私よりやや若いぐらいの男――は、私が良く知っている人物だった。だが、知っているからと言って安心できる相手ではない。
「……心臓に悪いな。もうそろそろ体にガタがくる年なんだがね」
 かろうじて平静を保った私に、彼はよく分かるよとでも言うように頷いた。
「悪かったね。別に殺しに来たわけじゃないんだが、それで死なれたらこっちも目覚めが悪い」
 “殺しに来たわけじゃない”。普通なら冗談になるセリフだが、彼の場合はそうならない。
「飲むかね?」
 ボトルを掲げてみると、彼は少しだけ考えてからイエスの意を示した。
「ありがたくいただこう」
 私はグラスをもう一つ取って、彼が座っている位置から90度の位置に置かれたソファに座り、グラスとボトルをテーブルに置いた。なるべく落ち着こうとしていたが、無意識のうちに体が緊張するのを抑えることはできない。
「そう警戒しなさんな」
「君が何者か知っていれば、警戒するなという方が無理だろう。家に勝手に入ってこられた場合は、なおさら」
「君の所に私が出入りする証拠は、あまり残したくないだろうと思ってね。悪いが勝手に入らせてもらった。後で警備を怒らないでやってくれ。彼らはちゃんと仕事をしていた」
「それは理解している」
 この男にかかれば警備員などいないも同然だろう。過去に私と同じような立場の人間が雇っている警備を、何度も欺いてきている。小国の高官ぐらいならば影のように近づくことができる。
 それほどの技術を持っていながら、彼の外見は非常に平凡だった。特徴を一言で表すならば“特徴がない”がそれだ。
 中肉中背、黒髪、そこら中によくあるヘアスタイル。顔立ちは普通で、30代後半から50代半ばまでの男をたくさん集めて平均値を取れば、こんな顔になるだろうと思わせるような造作をしている。平凡だが、年齢がはっきりしない。
 その平凡さは、そのまま彼の武器となる。特徴に乏しい人間は、そのままでは何者でもなく、他者の印象には残らない。人ごみに紛れれば、いつの間にか姿が消えてしまう。
 何者でもない者は、逆に少しの工夫を加えれば何者にもなることができる。白色のキャンパスには好きな絵を描くことができるように。
 表情、態度、髪型、服装などを少し変えて一定の特徴を持たせれば、自分を違うカテゴリーの人間にすることができる。普通のビジネスマンから熟練ブルーカラー、官僚、企業主、ホームレス、マフィアの構成員、警察官、軍人にいたるまで。
 そうやって仕事を成し遂げるのに適した何者かになり、仕事を行う場所へ行く。仕事が終われば、何者でもなくなってどこかに姿を消す。それが彼だった。
 私がグラスにブランデーを注ぐと、彼は早速手に取って香りを確かめ、楽しそうに笑って口に含んだ。私も自分のグラスに注いで、香りだけ味わった。いつもは私を陶然とさせる高級コニャックの香りだが、今はひどく無味乾燥なものに思われた。
 互いに乾杯する間柄ではないし、我々には乾杯するべき出来事はない。互いにうまくいっているということは、誰かが不幸になって悲惨な目に合うということだからだ。
「実に良いな。この年になっても、知らない世界というのが多いということを分からせてくれる」
「要件は?」
「いやなに、引退前の挨拶というやつだ。君には良くしてもらったからな」
「退職金を請求しに来たわけじゃないのか」
「それで脅しに来たとでも思って、身構えていたのか?」
 面白がるように言うが、真意が読めない。この男が何を考えていようとも、それを察することができる人間はいないだろう。変装するときのように、彼は上辺の表情を完璧に操作することができる。それが何よりも恐ろしい、
 本来なら、私がこうやって誰かと相対したとき、緊張するのはほぼ確実に相手の方だ。私は世界一とは言わないが、世の中の大多数の人間よりも大きな力を持っている。財力、権力、武力だ。
 財力はこれから10回ほど生まれ変わっても、毎回遊んで暮らしていけるほどある。そこから生まれる権力も、税関や公権力の自分の都合の良いように一部を動かす程度には高まっている。自らと商売を守るため、優秀な元軍人、元警察官、元諜報員を雇って作り上げたPMCによる武力もある。
 だが、足りないものもある。私個人が持つ力。権力や財力の後ろ盾がない状態で、誰かと向き合ったときに場を制するための力。それが欠けている。
 誰も私を知らず、電話もなくクレジットカードも小切手も使えない状態では、私は無力な初老の男に過ぎない。それを理解しているからこそ、私はなるべく自分の城を動かないようにし、常に近くに部下を侍らせ、彼らとの連絡手段を保っている。
 目の前にいる彼は、全く別の意味で強大な力を持っている。それは彼自身に帰結する暴力であり、私に欠けている力そのものだ。後ろ盾なく一対一で向き合ったとき、この男よりも強い人間はほとんどいないであろうことを、私は知っている。
 彼は殺人を生業としている――正確にはしていた者だ。

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