山中隆司
かつて八百万の神様たちは自身が支配する領地を巡って争った。争いは名前を口にするのも憚られる高位の一組の神様がこれは民のためではなく己の利益のために争っているとの発言したことにより争いは終結し神様ごとに任地が決められ、私ことヒナタノカミヒメは辺境の氏神様に任命された。そのことに不満はない。自身も神様として力の弱いことは十分に理解している。
任地に赴くと土壌も悪く、毎年の農作物の収穫に苦労していることがわかった。
祈年祭の奉り物として新酒と新米のお供えがあった。お供えものは前年の収穫量によって内容が変わる。これまで数千年の経験から前年が豊作のときは新酒、新米、あたりめ、乾燥アワビなどが献上されるが、不作のときは新米と新酒のみとなる。
ヒナタノカミヒメ様、今年こそ豊作をお頼みしますと白い袴を着た老人が宣ずる。彼は私を祀る神社の村長だ。彼のことはよい男だと思っている。毎年、欠かさず春と秋の祭りを欠かさずに行い。冠婚葬祭の際には仲人の役割を担っている。
これまで多くの村長を見てきた。私利私欲に走り村を困窮させた者。農地改善に熱心になるあまり内政をおろそかにして村を傾けさせた者。内政重視にした者と多数見てきた。今の村長ほど万事程よく行うものは見たことがない。彼の村人のことを第一に考えている姿は神として好意的に思っている。
神と人間が結ばれるのは神様界ではご法度だ。
目の前で必死に祈る男を不憫に思ったことはない。私が惹かれるのもあるが、この土地がおしまいなのを痛いほどに分かっているのも大きい。土壌はやせ細り、私の力だけではどうにもできない。こうなってしまったら五穀豊穣の神や土の神に頼む必要がある。
私の神として役割は五穀豊穣ではなく主に家内安全や安産祈願などを司る神に豊穣を祈るのはおかしい。
夜、私が依代としている翡翠の勾玉から顕現する。祭りの喧騒を見るのは楽しい。今、本殿は先日の祭りの日とは比べものにならないくらい静まりかえっている。参道にでると周りに誰もいないことに胸を撫で下ろす。時々、こうやって外に出て人間界を楽しんでいる。神様なので人間や動物に気が付かれないように周囲への警戒は怠らない。
そろそろ年に一度の神様同士の会合で一年間の実施内容の報告がある。今年はあまり行きたくない。神様としてやるべきことをしていないわけではない。参拝をしてくれた人が願った些細な願いに対してはちょいと叶えてやったりもしている。去年の飢饉の影響で信仰している村人がほとんど亡くなってしまった。これでは神様としての格が下げられてしまうに違いない。今でも地方の氏神様という閑職についているが、左遷もありうる。次に左遷されるとすれば上位の神の付き人だ。そうなればもはや神様ではない。
暗がりの奥から人が歩く気配がする。近くの御神木の影に隠れる。
「この村もワシの世代でしまいじゃな。若いモンの多くは去年起こった飢餓で亡くなって残ったのは老い先短い老人と若い人男女が少し、これでは」
この発言が耳にこべりついて離れない。
先日あった祭りのことを思い出す。
村を救ってほしいという言葉に対して、
「ごめんなさい」と謝っとき老人がこちらを振り返った気がする。姿は現していないはずなのに。
「ワシたちはこのままゆっくり死んでいけばいい。でも、若いモンは滅びゆく村ではないところで仲良く暮らしてほしい。たが、あたりの多く村も同じ状況なはず。一体、どうすればいいんじゃ」
「大丈夫。私がなんとかするから」
言ったもののどうにかできる自信はなかった。それに最近、届いた最高神からの会合の案内がきている。その回答も用意しないといけない。私にできることは参拝にきた人に一年の平穏をもたらすだけだ。
ため息をつく。私にできることはいろいろとやってきたつもりだ。
一般的に神様が人の願いを叶えるときの方法は大きく分けて二つある。一つは願った者の頭に触れる。それによって力を願いが叶うように導く。
もう一つはさらに上位神様に願いごとを叶えてもらうように取り計らうのだ。この際は手土産を用意し、相手の都合を確認しなくてはいけない。上位神様だと予約を取りつけるのも難しい。
一人でいるといろいろと考えなくてよいことも考えてしまう。
私がここに来たのは間違いじゃないのか。私の力はどうしてこんなに無力で、飢饉に役立たないのだろうか。
家内安全、安産祈願もたらす力じゃあ村は貧しくなるばかりだ。隣町の氏神様であるトヨフサウミヒメは豊かさをもたらす神様で毎年のよう豊作をもたらし日々生活が豊かになっているらしい。
つい大きなため息が出てしまう。
「そこにいるのは誰だ」
「怪しいものじゃありません。どうか見逃してください」と立ち上があって、天衣についた砂を払う。目の前の男は青の着流しを着ている。旅人だろうか。
「君は……。どこかであったことがある気がするな」
「そんなことはないですよ。あなたと会うのは初めてです」
苦笑いするが内心は焦っていた。彼が村人ならば会ったことがある気がするは当たり前のことだ。村人全員参加の春と秋の祭の際に私を模した服を着た少女が奉納の舞を披露する。その時のことを言っているに違いない。目の前の男の顔をよく見る。面長で細い目としている。見覚えがあるが思い出せない。
「そうか。そうだよな。変なことを言ってすまない。それにしてもうら若い女性が一人で外を出歩くのは危ない。今日はこのあたりの木賃宿で一緒に泊まろう。明日、一緒に帰って謝ってあげるよ」
私の神力を用いれば盗賊の一人や二人ちょちょいのちょいとあの世に送ってやることなんて容易い。そんなことを言うと逆に怪しまれてしまうだろう。見た目は十歳にもいかない少女だ。この姿で出歩けばどのように扱われるかわかっている。首を縦にふって彼のあとに大人しくついていってやる。もし、襲ってくるようであれば祟殺してしまえばいい。私を祀る神社に続く参道を彼の後について歩く。
「君はあんな時間にどうして数十年前に廃村になった場所を歩いるんだい?」
「神社に参拝したあと急に眠くなったので、柱にもたれてうたた寝をしていてすっかり寝過ぎちゃって夜だったけど親が心配しているだろうから帰らないと行けないな思って」
「ここまで歩いたときに、村の中を通ってきたが廃村だった思うが」
前を歩く男が笑っているのが後ろからでも分かる。私との会話を楽しんでいるだろうか。
「確かに廃村に見えるかもしれませんが、残った人たちは元気に暮らしています」
「それを聞いて安心したよ。俺もあそこの生まれなんだが小さい時に離村したんだ。久しぶりにこのあたりに来たんだ。幼い頃に離村して、近くの大きな町に引っ越した。そこで魚を売って暮らしている。しかし、ヒドいな村が死んでる。俺たち一家が村を出たときはニ百件ぐらいの家があって栄えていたけどけど今じゃあ廃屋ばかりじゃないか」
「そうですね。去年あった飢饉のせいで多くの村人が亡くなりました。今では数名の老人と若い男女が残るばかりで……」
「そうか、そうだったのか」
私の記憶を振り返る。村を出た人も多くいる。顔の丸い少男や片目の潰れた女等々。数十年前、夜逃げした家族が最後である。あの家族には男と女に子供が五人いたはずである。
「ごめんなさい……。私が不甲斐ないばかりに」
つい謝ってしまう。私がこの土地を取り返しがつかないことになるまで他の神に頼んだりしなかったことが原因だとは思わないだろう。
「君が謝ることはない。飢饉と君の間には何も関係ないだろう。気にすることはない。運が悪かっと思うしかない。おやすみ」
横になっている男の顔を見る。かわいい。人間の寝顔をここまで愛おしいと思ったことはない。人間はあくまで箱庭の中に存在する駒のような存在としかこれまで考えなかった。毎年の報告もどれだけ人間の願いを叶えたかを考えたことがなかった。 特別な思いを抱くことはない。神様として抱いてはいけないのだ。
筋の通った鼻に薄い唇。じっくりと彼の顔を見るとあのときに三十年前に出ていった男に面影が似ていた。そっと彼の唇に触れようとしたとき、
「おい、そこの女。有り金を全部そこにおいていけ」
と脇差を私に向け近づく。夜盗かこの私も舐められたものだ。私が指をパチンと鳴らす。夜盗は引き戸の段差につまずき、大きな音を立てて倒れこんだ。手に持った脇差を握りしめたまま受け身を取り、際に頭に刺さる。
頭から血を流して倒れこんでいる男を見下してやる。
「運が悪いわね。つまずいてしまうなんて」と笑う。
「お客様、大丈夫ですか」
木賃宿の主人が慌て入ってきて、私を見る。
「お嬢さん。お怪我はありませんか」
「大丈夫です。怪我はないです」
木賃宿の主人はあたりを見渡して入口で血を流す男の存在に気付きそばに駆け寄る。返事がないのを確認し死んでいるのが分かる。主人は外に駆け出した。
それを確認し、私は床につく。
翌朝、天衣の袖をまくって、お米をかす。釜の中に入れ、薪をくべる。私は家内安全や安産祈願など司る神として美味しいご飯を作るのが最も得意とすることだ
「おはよう。お米を炊いてくれてありがとう」
ふつふつとしているお釜を見て火を弱める。
「助けて頂いたお礼にお米を炊こうと思いまして」
「そんなことをしなくてもいいのに」
「ご迷惑でしたか?」
「いや、ありがとう炊く手間がはぶけたよ」
男は私を見ていう。より正しくいえば私の着ている朝日に反射して光っている天衣を見て、
「あなたは一体?」
「私は、」
私が神であることを告白してもよいだろうか。告白したら今のままではいられないだろう。良くて配置換え、悪ければ神様ではない何かに変えられるだろう。
「わ、私はヒナタノカミヒメです。驚きましたか」
「驚いたよ。まさか、神様だなんて。これで納得がいく。あの村の神社の御神体なら見たことがある。初対面に感じなかったのには納得だよ」
突如、空が輝く。
―――人間に自身の正体を明かしましたね。これは決まりに反します。―――
目の前には二つの人影があった。
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