天野満
大通りを行く。
華やかな商店の明かりや、せわしなく行きかう車のヘッドライトに照らされて、夜の通りはまるで昼間のように明るかった。
俺はどこに行くのだっけ。わからない。ただ、どこかに行かなくてはならないことはわかっている。だからこうして歩いているのだ。口からはため息が漏れ出て、空きテナントの暗い窓に映った自分の顔はすっかりやつれている。
酔っ払いに肩がぶつかった。
大通りは酔っ払いに満ちているから、ボンヤリ歩いているとこうなってしまう。犬は歩くと棒に当たり、人間は歩くと酔っ払いにぶつかる。
酔っ払いは大きな声で、俺に人生を説く。酔って気が大きくなった彼らは、誰かれ構わず見境がない。
「君、気をつけたまえ。私は忙しいんだ。時は金なり、社会も金なり。邪魔をするな。君もボンヤリしてないでしっかりしなさいよ」
酔っ払いの首にかかっているどこかの企業の社員証には、小紋縛蔵、と名前が書かれていた。
なぜ、見ず知らずの男に、いきなり人生を説かれなくてはならんのか。
俺は嫌になって、その場を逃げ出す。したらば、また別の酔っ払いに当たってしまう。
「ええか、男たるもの……」
「社会人として……」
「常識的に考えて……」
「世の中は甘くないぞ……」
逃げては当たり、当たっては逃げ、を繰り返した。
俺はどこに行くのだっけ。わからない。少なくとも、ここじゃないところへ行きたい。
懲りずに大通りを行く。突然、音楽が聞こえてきた。
三上地動説です、と名乗ったミュージシャン風の男はギターに合わせて歌を歌った。
社会に適合出来ないオレ、カッコイイ。
歌詞の内容を要約すれば、そのようなことばかり歌っているのである。
自分の怠学怠惰をむやみやたらと有難がって、こともあろうに歌にして、ええ気分になっているのである。
歌詞は音楽の全てでは無い。俺はそのことを認識しているが、それでも楽曲や演奏について言及しなかったのは、筆舌にしがたいほどそれらが拙劣だったからである。
三上の前に置かれたギターのハードケースには大量の投げ銭が入っていた。
「持ち曲、カバーしかないんですけど」
文章にしたら、カッコワライ、みたいな感じで三上が言う。
途中で「これはすごい思い出深い曲で~」と言っていたので、全部自分の曲だと思っていたのだが全て他人の曲なのである。三上はカバーとのたまい、他人のふんどしを締めて土俵に上がり、こともあろうに金まで儲けているのである。あんまりうるさいことは言いたくないが、法律に触れとるのではないか。
いつの間にやら紋切り型の流行ファッションに身を包んだ人々が集まっていた。それは街灯に群がる羽虫のようだった。彼らは無表情で、エモいー、などと口走りながら、スマホで写真や映像を撮り、SNSで拡散する。ハート型の空箱と幾ばくの銭が空中を飛び交って、ハードケースに入っていく。
聴衆からパワーを得たのか、三上はいよいよ興奮の絶頂に達して、叫ぶ。
「人生が上手くいかないのは、社会のせいだ!」
俺はどこに行くのだっけ。わからない。でもここは嫌だ。
俺はそそくさ、と場をあとにした。どこか上の空な歓声と、乱雑にかき鳴らされるギターの音がただただ不愉快だった。
――酔っ払いは大きく分けて、三種類に分けることが出来る。
頭の中で散り散りに舞っている思考を束ねて、俺は説を打ち立てた。
一つ目は「本来的な酔っ払い」である。彼らは酒に酔っている。酒を多量に摂取して酩酊すれば、誰もがこの分類に当てはまる。
二つ目は「社会的酔っ払い」である。彼らは、社会に適合して活躍することを良しとしており、「社会に適合出来る自分と、世間体のよろしい人生」に酔っている。大通りに生息している大半の酔っ払いはこのパターンが酒を飲んだもので、小紋縛蔵のような人間が例に挙げられる。
三つ目が「個人的酔っ払い」である。彼らは社会に適合出来ないことを一種のステータスとして考えている。「社会に適合出来ないと開き直って自分の人生を正当化する」行為に酔っており、やはり酒にも酔っぱらう。三上地動説のような人間がこれに該当する。
別に酔っ払いが悪いとは思わない。
むしろ、酔っ払えるものなら、俺も酔っ払いたかった。大通りを歩き、人生を説いて回りたかった。全てを他人のせいにして、乱痴気騒ぎしていたかった。
ただ、俺は酒を飲んでも、肉体が酔っ払うだけで、心が酔っ払わない。そして、人生にも酔えない。社会に適合して大通りを行っても、適合出来ないと開き直っても――。
俺はどこに行くのだっけ。俺はどこに行くのだっけ。俺はどこに行くのだっけ。
俺は、どこに行けばいいのだっけ。
頭を抱えてフラフラ歩くうち、いつの間にやら俺は大通りを外れて、見知らぬ細道に立っていた。すっかり歩き疲れて、細道の端に座り込む。この細道には酔っ払いがいない、というか、人自体がいない。店も何もなく真っ暗だった。
俺はどこに行くのだっけ。
最初から目的地なんて無かったんだよ。
薄々感づいてはいた。俺は「酔わないこと」に酔っていた。だから、人のことを酔っ払い呼ばわりしていたのだ。安心したかった。そうでもしなきゃ、寂しくて、不安で、やってられなくて。そんなことしても、もっと寂しくて不安になるだけだってわかっていたのに。
俺はどこに行くのだっけ。
何度も繰り返した自問自答だが間違っていた。正しくはこうだ。
俺はどこに〈行きたい〉のだっけ。
不思議なことに、華やかなはずの大通りにいるより、この暗く静かな細道にいるほうが、俺の心は安らいだ。
この細道は何という名前の道なんだろうか。細道にも色々ある。奥の細道なら、松尾芭蕉が俳句を詠んでいるだろうし、天神様の細道ならば、行きは良くてもが帰りが怖いんだろう。
じゃあ、芭蕉も天神様もいない、この細道は――不酔の細道か。
大通りの方からは楽しそうな声が聞こえる。でも、俺は不酔の細道を歩いていきたいと思った。華やかでもなく、道幅も大きくないけれど、道は果てしなく続いている。途中で人に会うこともあるだろう。俺と同じく、酔えなくて、やつれている人に。
そんな人に会ったらどうしよう。そうだ、一緒に星を眺めよう。この辺りは暗いから星がよく見えるんだ。彼らの紡ぐ歌や物語を聞きながら、とりとめのない話をするのって素敵だと思わないかい?(了)
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