天野満
「なんで俺、書き物やってんだろ?」
新年早々、執筆に行き詰っていたら、大変重要なことに気が付いてしまった。
自分が書き物をする理由が全く思い浮かばないのである。正確には、理由があるような気がするのだが、上手く説明出来ないのであった。
最近読んだ本の中に「目的を失った軍隊ほど脆いものはない」という旨のことが書いてあったのだが、同じように「動機の無い物書き」もまた脆いのではないか。
というわけで、私は「自分の心」という名の果てしない平原のどこかにあるという「真の動機」を探す旅にGo toすることになったのである。心の中でもクーポンが使えるのかどうかだけが不安だった。
・説その1 金がなかったから
私が小説やエッセイを書き出したのは、バンドを辞めたあとのことだった。当時、私は笑ってしまうほど金を持っておらず、自販機の飲み物を買うことにさえ、躊躇する有様だった。
そこで、目をつけたのが、執筆業である。文章を書くのにはほとんど金がかからない。当時の私の如き貧民にはうってつけだったのである。
「俺は金がないから書き物をやっているのか」
だが、それはモチベーションではない。これは文章を書き始めたキッカケに過ぎないではないか。
・説その2 ちやほやされたい
バンドをやっていた頃、宣伝と趣味半分でブログを書いていたことがある。バンド仲間やお客さんから「ブログ面白い!」と言われると、調子に乗っていたのを思い出す。
承認欲求とは凄まじい原動力で、これもモチベーションになりうるのは間違いない。
「俺は、ちやほやされたくて書き物をやっているのか」
しかし、これも一番の動機では無いような気がする。部屋の中で一人、自分のためだけに楽器を弾くような、そんな感覚で文章を書いているときもあるからだ。
・説その3 下らない妄想のはけ口
私は四六時中、下らないことを考えている。
この間は「南極のサラリーマン」について考えていた。彼は氷原のど真ん中で、ペンギンやアザラシ相手に商売をしているのである。しかし、儲からないので、彼らを南極の外に連れ出して、彼ら自身を商売にすることにした。それが動物園の始まりである。という、愚にもつかないことを日がな一日考えていた。
このように、くだらない妄想ばかりしていると、頭の中に肝心な事柄を入れておくための容量が足りなくなってしまう。そこで、余分な妄想を書き物に移すことで脳の要領を確保しているのではないか、と思う。まるで、データを外部メモリに移すことでPCのデータ保存容量を確保するが如く、だ。
「俺は下らない妄想のはけ口として、書き物をしているのか」
残念ながら、これもあくまで数ある理由の一部に過ぎず、モチベーションの根幹ではなさそうな気がする。必要に迫られてやっていることに過ぎないからだ。
・説その4 愚民でいることに嫌気がさした
大人になってからというもの、私は〈真面目〉とか〈いい子〉という言葉に懐疑的になった。それらの言葉を決して褒め言葉として受け取ってはいけない、と思っている。
大人たちが言うところの〈真面目〉や〈いい子〉というのは、実は「愚民」のことではないのか。
愚民。それは自分の頭で考えることをやめ、事なかれ主義に走り、極めて他責的に振る舞う人間どものことだ。
そして他ならぬ私も「愚民」である。
悲しいことに「いい子」は大人になると「言われたことしか出来ない人間」として周囲から蔑まれることになる。
逆に「悪い子」というのは、自分の頭で考える経験を大いにしてきているため、社会に出てから大人物に変化することもある。不条理とも思えるが、これが現実なのだ。
私は愚民である自分を恥じ「悪い子」になろうと考えた。その手段として「芸術」を選んでいるのである。勉学や仕事は「いい子」のイメージがぬぐえないのだ。
「俺は愚民でいることに嫌気がさして書き物をしているのか」
たしかに、反骨精神がモチベーションになるのは間違いないが、やはりこれも決定打にはならない。他人が核になっている動機というのは、どうにも頼りない気がする。
ここまで書いても思い浮かばないのでは、いよいよ筆を折るときがきたのか。
と、覚悟を決めたとき、記憶の片隅から、あるエピソードが蘇ってきた。
ある日、大学時代の先輩と一緒にファミレスで食事をしていたときのことだ。
内容は覚えていないのだが、私は先輩の悩み相談に乗っていたのである。君の意見を聞かせてくれ、と言われて話した内容に、先輩は大層感激していた様子だった。
しかし、私はどうにも落ち着かなかった。私は本当に「自分の意見」を話していたのかわからなかったからである。実のところは「どこかで聞いたような話」をそれっぽく話していたにすぎないのではないか、と。
私は自分の心中の違和感を先輩に伝えた。そして、次のような言葉をいただいたのである。
「お前は自分の意見をしっかり持っている。でも、それを上手く言葉に出来ないだけだ」
ずっと、その言葉を待っていたような気がした。私の腑に、すことーん、と音を立てて落ちていく、その言葉を。
実のところ、私は泣いてしまったのである。心の中に抱えてきた、自分にも説明のつかないモヤモヤに形を与えることが出来たのが嬉しくて仕方なかった。
突然の私の涙に先輩は狼狽していた。ファミレスで突然涙を流す男は周りから見ればさぞ奇妙に映ったことだろう。私としても奇妙だった。相談を受けた側が救われるなんて話は聞いたことがない。
そうだよ、俺は伝えたいことがあるから、小説やエッセイを書くのではない。「自分が伝えたいことは何か」を知りたくて、あるいは「伝えたいことを伝えるための言葉」を探して文章を書いているんだよ。それがきっと美しいと信じているから、誰かに読んでもらいたいんだよ!
気がついたら、俺はパソコンの前で、涙を流していた。
俺はついに心の平原から「真の動機」を探しだしたのである。クーポンは使えなかったけど、たどり着けたのである。
俺が悩んでいるのは当たり前のことだったのだ。書けなくて真っ白な原稿も、もう怖くない。
「原稿、真っ白だけど、このまま出しちまっていいよね」
それはもちろん、いいわけがないのである。(了)
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