『スイーツショップ “ルクアージュ ”へようこそ』

ほろほろほろろ

小さくキュートな虹色マカロン、霜を降らせたガトーショコラ、きんと冷たいレモンシャーベット、ツヤが眩しいフルーツドロップ。
スイーツは味や見た目、作り方まで実に個性豊かで、二つとして同じものはありません。ですが、その全てに共通したものが一つ。それは、食べた人を心から笑顔にするということ。煮詰めた砂糖の濃厚な甘さも、穫れたてイチゴの爽やかな酸っぱさも、じっくり練りこんだチョコレートの仄かな苦味も。繊細な味覚の一つひとつが緻密に織り込まれ、そこから生まれる感動は食べた人の心を一瞬にして満たしてしまうのです。嫌なことも苦しいことも一旦忘れて、飲み込んだ後にはさっきより元気になれる、少しだけ勇気が持てる。スイーツとは、まさしく心の栄養源なのです。
そしてここは、お客様へ元気と勇気をお届けするスイーツショップ “ルクアージュ ”。『お客様へ最高の笑顔を』をモットーに掲げ、日々スイーツ作りに励んでおります。
申し遅れました。私は当店の店長兼パティシエールの “フェリシータ ”でございます。どうぞ、お見知りおきを。

早速ではありますが、お客様。当店へお越しくださったということは、お客様もお求めなのではないでしょうか。そう、笑顔になれるスイーツを、です。当店ではお客様お一人おひとりに合わせた、世界に二つとないスイーツをご提供させていただいております。他店のような出来合い品ではございません。和洋、味覚、風味、色合い。全てをお客様のお好みに合わせ、最高のひと時をご提供いたします。お客様もお気に召されますこと
間違いありません。それでは、こうした立ち話も何ですから、早速お客様のスイーツをお作りいたしましょう。

……と、申し上げたいところではありますが、もうお一方お客様がいらっしゃったようです。それにどうやら、随分お急ぎのご様子。
お客様、大変恐縮ではございますが、スイーツの件はしばらくお待ちいただけますでしょうか。その代わりではありませんが、当店の仕事ぶりを見学なさってください。きっと、存分にお楽しみいただけるものと思います。
おっと、長話をしていてはお客様を待たせてしまいますね。それでは早速向かいましょうか。こちらでございます。

2

ベルの冴えた音と共に、ドアはゆっくりと開かれます。私は急いでエントランスへ向かい、お出迎えの心と共に体の前で手を重ねます。さて、本日のお客様はどういったお方でしょう。恋に恋する少女でしょうか。お仕事にやつれた婦人でしょう
か。あれこれ想像を巡らせ、楽しみ半分にお待ちします。けれど、お客様はドアの陰から中々お姿を現しません。随分と戸惑っていらっしゃるご様子。こうしてお待ちするのがじれったく思えてくる程です。
ですがようやくドアは開かれ、店内のライトがお客様を照らします。白く照らされたその先には、十歳ほどの小さく可愛らしい女の子がいらっしゃいました。お客様は上目遣いで辺りを見渡しつつ、床を確かめるように一歩ずつ歩いています。小さな手はずっともじもじさせ、時折か弱く息をこぼしています。見知らぬ場所に迷い込んで余程不安なのでしょう。ですが、ここは皆さんを笑顔にするスイーツショップ。白とピンクで店内を彩り、丸や四角いオブジェなんかも浮かべたファンタジー色溢れたお店です。女性を中心に人気を博する内装に対し、まるで虎の巣穴を進むような反応はいただけません。私は居ても立ってもいられず、口を開きます。
「いらっしゃいませ、小さなお客様」
お声掛けと共にお辞儀を一つ。すると、ようやく私に気づいたらしく、お客様は小さな悲鳴を最後に飴細工のように固まってしまいました。私はゆっくりと近づき、膝を畳んで目線を合わせます。
「怖がらなくて大丈夫ですよ。ほら、これ」
お客様の前で掌を開きます。そこには、包み紙にくるまれたイチゴのキャンディーが一つ。
「甘くておいしいですよ。食べますか?」
お客様は怯えた目で頷くと、震える指先で包みを解き、恐る恐る口に入れます。その瞬間、お客様の目に光が灯りました。先ほどまでの不安は、甘さの中に無事溶けてくれたようです。
「おいしぃ」
「そうでしょう。何といっても、私のお手製ですから」
ふふんと胸を張ると、お客様は更に目を輝かせます。
「おねーさんって、おかしやさんなの!?!?」
「えぇ、そうですよ」
私は立ち上がり、パチンと指を鳴らします。それを合図に、背後の照明が一気に光を注ぎ始めます。それらの下には、遥か先まで続くショーケースの列。透明な壁の奥には、古今東西、千差万別のスイーツたちが飾られているのです。
私はもう一度胸を張ります。そんな私を、お客様は大きな目を丸くして見上げるのです。
「人々の夢を渡り歩き、北はシベリア南は南極。スイーツショップ “ルクアージュ ”は、あまねく世界に笑顔をお届けします。申し遅れました。私は店長兼パティシエールを務めております、 “フェリシータ ”と申します。お気軽にお姉さんとお呼びくださいね」
口上だけでなく、普段の歓迎のご挨拶を忘れてはいけません。ここで一呼吸置き、お客様へ笑顔を贈ります。
「改めまして。小さなお客様、ルクアージュへようこそいらっしゃまいました! さあ、お客様はどのようなスイーツをお探しですか?」
優しく問いかけます。普段通りであれば、ここでお客様は目を輝かせ、スイーツを食べる想像に舌鼓を打つことでしょう。ところが、お客様からのお返事はなし。むしろ、言葉を急かされて戸惑ってらっしゃるようです。
「あの、気付いたらここにいて、だから、おかしがほしいとかじゃないの…………」
お客様は目を伏せ、小さくこぼします。先ほど目に灯った光は消えていて、ずんと暗い陰が落ちています。それは決して、私に捲し立てられたからではありません。お客様から感じる暗いオーラ。それはまさしく不幸の象徴であり、当店へ足を運ばれた理由そのもの。お客様はその小さな体に何を抱えていらっしゃるのでしょう。
「そうでしょうとも。ですが、お客様は今まさに暗いお顔をされています。それは、何か悲しいこと、不幸なことがあったからではないでしょうか」
「かなしいこと?」
「えぇ。そして、お客様から不幸を取り除くことが私の使命。さぁ、何か覚えていることはありませんか?」
優しく促します。しかし、お客様は小首を傾げては難しい顔をされるばかり。
「わかんない……かなしいこと、何かあったのは覚えてるのに。ごめんないさい」
そして、お客様は申し訳なさそうに俯いてしまいました。
覚えていないのは仕方のないことでしょう。元よりここを訪れるお客様は皆そうなのです。曖昧な記憶、曖昧な世界。そして、その中から悲しみを掬い取るのが私の役目。
いいんですよ、とお客様を慰み、落ち着かせるように頭を撫でます。
「謝ることはありません。思い出せないなら、探しに行けばいいんです。ご安心ください。私がお手伝いしますから」
「探す? どこに?」
「お客様の心の中、ですよ。そして、悲しいことは全部これに閉じ込めちゃうんです」
私は懐から空の小瓶を取り出します。これは魔法の小瓶。指で弾くと、きれいな音色と共に星が散ります。その様子をお客様は目を丸くして見上げていました。
お客様へ腕を伸ばします。怪訝そうな表情のお返しに、私は笑顔を贈ります。
「さあ、この手をお取りください。心の中まで一瞬です。束の間の思い出旅行へ参りましょう」
その言葉に誘われるように、お客様は恐る恐る腕を伸ばされます。その小さな指先と触れた瞬間、視界は白に染まったのです。

仄かに漂う甘い香り。バニラでしょうか。心が落ち着くような、そわそわするような、そんな香りです。ここはきっと、お
客様にとっての甘い記憶なのでしょう。
瞳を開くと、そこはとある教室の風景。窓の外から白い光が差し込み、閑散とした室内を照らします。私たちの他には、席に着かれたお客様の影が一つだけ。影は窓際後ろの席に着き、ぼぉっと教室内を眺めています。随分と寂しい光景です。
これは記憶の中から切り取られた世界。窓の外も、廊下の先も、白くぼやけて溶けています。私たちは今、お客様の記憶のほんの一欠片の中にいるのです。
「ここ、きょうしつ?」
普段と違う光景に戸惑っているのでしょう。お客様はきゅっと私の手を握ります。
「明るいのに、だれもいない」
気にかけないことは残らない。記憶とはそういうものです。ここに誰もいないということは、お客様の注意はそこにないということ。では、お客様はどこをご覧になっていたのでしょう。この甘さの理由はどこにあるのでしょう。
答えは至極簡単でした。
ふと、影の目線の先にもう一つの影が現れました。男の子の影です。彼は誰かと話しながら時折笑います。その度、香る甘さが増していくのです。
「佐藤くん…………」
お客様が彼の名を口にします。成程、お客様は彼のことが好きなのですね。道理で甘い記憶な訳です。視線を落とせば、お客様はあどけない微笑みで彼を見つめていました。
ですが、彼の記憶が現れたということは、この先にお客様の不幸があるということ。お客様も、じきに思い出すことになるでしょう。
やがて景色はゆっくり移ろい始めます。射し込む光は赤みを帯び、漂う甘さの中に鋭い酸味を感じました。
静かな教室に一人、また一人と影が浮かび上がります。中には女の子も混じっています。彼らは佐藤君の周りへ集まり、談笑に花を咲かせます。佐藤君は随分と人気者のようですが、それ
と対照的に、お客様の影はぽつんと一人だけ。じっと彼らを見つめていました。
「私も、いっしょに話したかった。輪に入りたかった」
隣で、ぽつりと独り言のようにこぼします。お客様のお顔から柔和な笑みは消え、きゅっと唇を引き結んでいました。
話したい。近づきたい。でも、自分にはその勇気がない。想いの狭間に取り残されたもどかしい気持ちが、微笑み切れない酸味を生み出したのでしょう。ですが、これはまだ過程にすぎません。お客様の笑顔を塗りつぶした素は、もっと深い場所にあるはずです。
少しして、チャイムの音色が響きます。夜。教室から一人ずつ影が消え、再び静けさを取り戻してゆきます。残されたのは、佐藤君とお客様、そして、一人の女の子の影。柔らかなベールで覆うように、月明かりが彼らを照らします。
幻想的な風景を満たすのは、顔をしかめるほどの強い苦味。これまで感じた甘さも酸っぱさも、すべて塗り替えられてしまいます。
お客様へ目を遣ると、私と同じく眉をひそめ、私の手を強く握っています。記憶の所有者であれば、感じる苦味もより強いものであるはずです。
ここが、お客様の笑顔を奪った記憶。私が掬い取るべき対象。ここで何が起こったか。それはこの月明かりのように明白でしょう。
お客様の影が見つめる先、佐藤君と女の子の影は見つめ合っています。片方は視線を逸らして頬を掻き、片方は後ろ手を組んで照れたように肩を揺らしています。それは、二人だけの秘密の告白。佐藤君は『された』側でしょうか。その様子を、お客様の影は唇を噛んで見つめています。声は上げず、しかし目には涙を溜めていました。
「わたしがいけないの」
ふと、お客様は口を開きます。その声は暗く、後悔の色を含んでいます。
「意気地なしで勇気が無かったから、結局一度も話せなかった。その間に、佐藤くんはどんどん遠くに行っちゃった」
やがて二人の影は薄くなり。とうとうお客様だけが教室に残されました。お客様の影は腕の中に顔を埋め、静かにすすり泣く声が聞こえてきました。
「お客様は佐藤君のこと、好きだったんですね」
「うん」
「でも、他にも彼を好きな子がいて、彼はその子と…………」
「…………うん」
お客様も気付けば涙声になっていました。大きな瞳から光る雫がこぼれ落ち、想いを堪えるように歯を食いしばっていました。
失恋。それは大層苦い記憶に違いありません。小さな胸に宿った恋心は、花を咲かせる前に摘まれてしまったのですから。で
すが、それもまた人生。甘味も酸味も苦味も、いろんな味を経験して人は成長していくのです。苦味も大切な記憶の一つ。忘れたくて忘れていいものではないのです。
ですがこの苦みは、まだ小さなお客様には少し強すぎるようです。せめて、まろやかな甘みで包み込み、お客様が飲み込めますように。
「辛かったですよね。苦しかったですよね」
小さく頷くお客様に、私は再び懐から小瓶を差し出します。
「でも安心してください。辛い記憶はこれに閉じ込めちゃいましょう! さあ、これを持ってください」
戸惑いながらも、お客様は小さな手で小瓶を包み込むように受け取ります。「これをどうするの?」と見上げるお客様に、私は笑顔を返します。
「蓋を開けて、願うのです。苦い記憶、美味しくない記憶は、全部ここに閉じ込めちゃえ~って」
さぁ、騙されたと思って。そう促すと、お客様は目をぎゅっと瞑り、蓋を開けた瓶を精一杯高く掲げました。
「お、おいしくないの、全部ここにとじこめちゃえ~っ」
弱々しく叫んだ瞬間、景色に変化が起こりました。湖の底のように静かだった教室に風が巻き起こります。それは漂う苦味を絡めとり、小瓶の口へと吸い込まれていきます。徐々に記憶から苦味が薄れ、代わりに小瓶に淡く光る緑色の雫が溜まっていきました。
やがて風は収まります。先ほどと変わらぬ夜の風景。しかし、もう苦味は感じません。記憶の中のお客様も、顔を上げて月明かりを眺めていました。
お客様の腕の中には雫の詰まった小瓶が抱えられています。回収するものは手に入りました。あとは、スイーツを作るのみです。
「それではお客様、お店へ帰りましょうか。帰ったら、とっておきのスイーツをご用意いたしましょう」
「おかし!?!? やったぁ! 楽しみ!」
苦味が晴れたからでしょうか。小瓶を抱きかかえたお客様は、見違えるほどの満面の笑みを浮かべたのです。

砂糖、玉子、牛乳、その他材料を鍋に入れ、最後に小瓶の雫を空けていきます。混ぜ棒でゆっくり円を描き、とろみがついたらレバースイッチをオン。生地がホースを伝って機械の中へ吸い込まれ、がちゃんごちょんとコミカルな音が響きます。やがてチンと音が鳴り、それを合図に窯が開かれます。そこには黄金色のプリンが一つ。ルクアージュ謹製なめらか焼きプリンの完成です。
手に取ってみれば、香る甘さに笑みがこぼれます。お客様を苛んだ苦味は感じません。小さめのスプーンを添えて、お客様へ差し出します。
「どうぞ、出来立てのうちに召し上がれ」
いただきます! と無邪気な笑顔を浮かべると、お客様は早速プリンを掬い取り、口へ運びます。
「あまぁい! おいしい!」
「それはそれは、お客様に喜んでいただけて何よりです」
ほっぺたが落ちそうと言わんばかりの表情。パティシエール冥利に尽きるというものです。
プリンはみるみるうちに減ってゆき、ついには底をつきました。最後まで食べた後もお客様は笑顔のまま。悲しみに暮れた表情を浮かべることはありません。その様子を見て、私は胸を撫で下ろします。この先はきっと、例えあの記憶を思い出したとしても、あまりの苦さに足を止めることはないでしょう。
甘いスイーツは心の栄養。口にすればたちまち嫌なことも苦しいことも忘れ、飲み込んだ後にはほんの少し元気になれる。そして、それを提供するのが当店の使命。本日も無事に達成することができました。
ふと目を遣ると、窓の外が白み始めます。夜明けが近いのです。
「もう帰らなきゃ」
思い出したように口を開き、私を見上げるお客様の顔は、夏の空のように清々しいものでした。
軽い足取りでエントランスへ向かうお客様を奥からお見送りします。お客様はドアの前でもう一度振り返り、笑顔と共に手を振りました。
「おねーさん、おかしありがと! とってもおいしかった! また来るからね!」
えぇ、またのご来店をお待ちしております。
私の言葉が届く前に、お客様はドアの向こうへ姿を消されました。頭を下げた私の耳に、ドアベルの音だけが聞こえていました。
またのご来店は本来なら喜ぶべきではありません。ですが、本日のお客様は随分と小さい方でしたから、もしかしたら次の機会があるかもしれません。その時には、もう少しビターで大人なスイーツをご用意いたしましょうか。
一人になった店内。私は無意識に笑みをこぼしながら、指を鳴らして店内の照明を落とすのでした。

これにて見学は以上となります。さて、スイーツショプ “ルクアージュ ”について、皆さまにご理解いただけたでしょうか。お客様に寄り添った丁寧な接客。一人ひとりに合わせたお客様だけのオリジナルスイーツ。当店が選ばれ続ける理由がそこにあるのです。当店についてご理解を深めますとともに、本日の見学を楽しんでいただけたなら、店長として非常に喜ばしい限りです。
ん? なになに? 『是非とも当店のスイーツを食してみたい』ですか。ありがとうございます。ですが、外は既に朝日が昇っております。お客様も、そろそろお帰りの時間かと。
誠に勝手ながら、本日はこれにて閉店とさせていただきます。その代わり、お客様が再びご来店くださった際には、腕によりをかけて最高のスイーツをご提供させていただくことをお約束しましょう。どうぞその時をご期待くださいませ。
では、お客様。本日はご来店いただきまして、誠にありがとうございました。またのご来店を心よりお待ちしております。

(了)

コメント