化けよ!

天野満

 この漫画を読んだのは何回目だろう。展開もオチもわかりきっているはずなのに、何度読んでも面白い。
 ここでいきなり問題です。展開もオチもわからないのにちっとも面白くないものなーんだ?
 正解は「人生」です!
 くたばれ。
 とか、私が言ったら「人生は面白くするものだ!」とか自己啓発にかぶれたやつが言いやがるんだろうな。ぶっ飛ばすぞ。
 人生も漫画くらい面白ければいいのに。なんで私が人生を面白くしないといけないんだ。人生が私を面白くしやがれ。
 百歩譲って面白くないのは良しとしよう。でも、せめて展開もオチくらいわかっとけ。
 わからねえおかげで、私は引きこもりだよ。

 山崎くんは学校の女子たちのアイドルだった。運動をして歓声、話をして歓声、勉強をして歓声……。
 〈山崎くんに告白することなかれ〉
 それが私の学校の女子たちの間で生まれた、学校のアイドル、山崎くんを巡る暗黙の掟。世界の平和に必要なのは愛でなく掟だ。相手を思いやる心より自分にも降りかかる損得を人間は大事にする。
 でもおかしな人間もいる。損をすることを承知のうえで掟を破る者がいる。彼らはなにゆえ掟を破るのか。それは愛に狂ったからだ。
 ならば私も愛に狂い掟を破ったおかしな人間ということになる。

 放課後、校舎の裏に来てほしい。私はそう書いた手紙を、山崎くんの靴箱に入れておいた。
 人けのない校舎裏で私は山崎くんを待った。恋する乙女の一世一代の大勝負。私の胸は張り裂けそうなほど激しく鼓動していた。
 が、日が暮れても、山崎くんが現れることはなかった。カラスが間抜けな鳴き声を上げながら、夕焼けの空を行くばかりであった。

 当然のことだが、掟を破ったものには制裁が加えられる。
 山崎くんを待っていた次の日、学校に登校すると、同学年の女子たちが私を指差して、コソコソ話していたり、指をさしたりした。どこから、情報が漏れたのか、私の手紙の一件は学年じゅうに広まっていた。ひどいものになると、わざと肩をぶつけてきたりする者もいた。
 上履きと教科書は切り刻まれ、私の机には菊の花が入った花瓶が置かれていた。
 それを見て笑うクラスメイト、笑うクラスメイト、笑うクラスメイトの群れ。
 掟を破ったものには罰が与えられる。例えそれがどんなにくだらない掟であっても。
 でも、別にどうでもよかった。こうなることはわかっていながらも私はやったのだ。背徳者と笑いたければ笑えばいい。
 「昨日さあ、下駄箱にこんなのが入ってたんだけど」
 山崎くんが笑いながら、取り巻きの男子たちに見せていたのは私が山崎くんの靴箱に入れた手紙だった。
 「放課後、校舎の裏に来てください、ね」
 山崎くんは手紙をゴミ箱に捨てた。
 「お前、昨日校舎裏行ったの?」
 取り巻きの一人が山崎くんに訪ねた。
 「行くわけねーじゃん、ダルいし。差し出し人も知らねーし」
 やるわこれ、と山崎くんが取り巻きに手紙を渡した。いらねーよ、と取り巻きが手紙をゴミ箱に捨てた。
 その日を境に私は学校に行かなくなった。
 
 山崎くんの一件があってから、私は言葉を失った。言葉遊びではない。本当にというか、物理的に声が出せなくなった。
 医者がいうには心因性のなにか、とか難しい説明をしていたが、要するに大きなショックを受けて体がおかしくなったということである。
 私は間違ってない。
 ただ、私の愛は社会ーあの狭っ苦しい学校ーにとって都合が悪かっただけだ。
 誰かを傷つけたわけじゃない。法律を破ったわけじゃない。ただ私は思ったことを言っただけだ。
 証明しなくてはいけない。自分が間違えてなかったことを。じゃなけりゃ一生嘘つきとして自分の心を殺し続けなくてはいけない。そんなのは嫌だ。
 でも、私の社会恐怖はひどく大きくなっていて、近所のコンビニに行くのさえも恐ろしい。
 読み飽きた漫画が、誰かにもらったキツネのお面が、私に妙案を与えた。

 人は見た目じゃないというが、あれはたぶん嘘だ。少なくとも私にとっては。
 コンビニに行くことすら恐ろしかった私は今、夜の公園を一輪車に乗って走りまわっている。
 これも狐面を使った変装のおかげに違いない。いつになくアクティブだった。鈴や巻物などの小道具を用意し、家の倉庫から一輪車を引っ張りだして乗り回すくらいに。
 私は今、私ではない。玉藻だ。だからこうして外に出ているのは玉藻なのだ。私はみんなの嫌われものかもしれないけれど、玉藻はそうじゃない。
 玉藻は今晩生まれたのだ。生まれたての人物を嫌いになる人は極めて珍しいだろう。少なくともこのあたりにはいないはずだ。多分。もっとも玉藻はまだ人にあってはいないのだけれど。
 薄暗い街灯の光に照らされたら、なんだか悪いことをしているような気がした。それが心地よかった。今の私に一番必要なものは悪徳だ。正確には悪徳、と社会が決めつけていることだ。
 道の先に人影があった。全身を黒い服で包んでいて、金色の髪は肩より少し長い女の人だだった。その人は私を見ると、ビクッと身体を震わせて一目散に逃げ出した。
 変装すげえ。私は思った。今度、私を虐めたクラスのメスブタどもに同じことをしてやろうかな、村八分の御礼参りじゃこの野郎、と、薄暗い悪徳の炎が胸の奥から湧き上がってきた。
 が、燃え上がった炎はある考えによって急激に勢いを無くした。
 私は変装によって、なんの罪もない女の人に危害を加えてしまったのだ。たとえ驚かせただけとはいえ。それではあのクラスのメスブタどもと何も変わらないではないか。
 私はパニックになってどうしようどうしよう、とオロオロオロオロして、一輪車を漕ぎ続けた。
 するとさっき女の人がいた辺りに財布が落ちていた。あっ、これは反省するチャンスだ。この財布を女の人に届けて謝罪しよう。私はあのメスブタどもとは違う。悪いことをしたら反省して、ちゃんと謝ることが出来る人間だ。どうだ、人は見かけによらないだろうが。心だけは、心だけは、絹なんだよ。
 私は急いで一輪車を漕ぎ続けた。しかし一向にさっきの女性は見当たらない。公衆トイレがあったので、もしかしてそこに逃げ込んでるのかな、と思い、女子トイレに入ってみたが個室は空だった。
 なんてことだ。私は狐の面を被ったままメスブタの仲間入りを果たしてしまったのである。そうだよね、罪が簡単に許されるはずもない。そんな都合のいい話があるわけがない。罪人が街を闊歩していいはずがない。やはり私は家の中で息を押し殺して暮らしていくのが一番いい。
 短い間だったけど玉藻として楽しい時間を過ごせたことだし、もう家に帰ろう。そう思った。
 
 なるべく人目につかないようなルートを通った。誰かが私を見てビックリしてはいけないから。
 一輪車を漕いでいると、女の人が飛び出してきて、私を見るや尻もちをついて恐怖に顔を凍てつかせた。
 また私は悪事を重ねてしまったよ!
 メスブタの中のメスブタに落ちぶれて、私は涙が出てきた。
 せめて、危害を加えるつもりはないのだと言いたくて、両手を挙げて降参ポーズをとった。
 でも、女の人は今にも失神せんばかりに怯えていた。
 違う! あなたは誤解している!
 と、そこに先ほどの金髪の女性が現れたのである。
 あああっ。どうしよ。怯えてへたり込む女性の誤解を解かなくては。でも、喋らずに誤解は解くのは困難か。じゃあ、それは後回しにして、せめて、財布を返さなくては。と思うや否や、遠くのほうでパトカーのサイレンが聞こえてきた。
 やばい、私をこの金髪さんが通報したに違いない。早く謝らなくては。とか考えていたら、なぜか金髪さんは明後日の方向に走り出した。
 
 私は全力で一輪車を漕いだ。金髪さんはなぜだか妙に足が早く、気を抜けば見失ってしまいかねなかった。
 散々、チェイスした結果、公園の木に寄りかかってゼエゼエと肩で息をする金髪さんに追いついた。
 せめて財布、財布、財布返す、財布。
 私は一輪車を降り、金髪さんのもとに近づいていった。金髪さんは私を見るや、また走り出した。
 待って、と声を出そうとしたがやはり声が出ない。
 が、金髪さんは足をもつれさせてと転んでしまった。私は急いで駆け寄る。許してくださいといわんばかりに、怯える金髪さんに私は財布を差し出した。
「それって」
 金髪さんがいった。あれ、なんか声がダンディ?
「届けてくれたのか」
 私は金髪のダンディボイスを聴きながら、何が何やらと頭がこんがらがってしまい、腕を組みながら無言でモジモジするしかなかった。
 
 どういうわけだか私は金髪さん、もとい女装男とともに夜の公園のベンチに並んで座っていた。
 「遠慮せずに飲んでね」
 私は混乱していた。なぜ、この人は女装しているのだろう。そして、この缶コーヒー飲んでいいものだろうか。こっそり薬など盛られていてもおかしくない。パトカーのサイレンを聞くや走って逃げ出すような人物だから、やましいことをしてくる可能性もある。
 「もしかして、缶コーヒー嫌い?」
 私は女装男の眼を見た。よく見た。眼を見て嘘がわかるわけでもないが、とにかく見た。
 「すみませんすみませんすみません」
 どうやら本気で私、というか玉藻に恐れをなしているらしい。とはいえ顔を見られるのはなんだか嫌だったので、男に背を向け、面をずらしコーヒーを飲んだ。
 「セラヴィっていうの、よろしくね」
 セラヴィ? 何だそれは。どう見たって髪はカツラだし、メイクこそ濃いが外国人には到底見えない。
 ああ、そうか。この人も玉藻と同じなのかもしれない。どういうわけだか、いつもと違う自分に変身して外に出ている悪徳仲間なのか。
 〈玉藻〉
 なんとなく作った小道具の巻物をセラヴィに見せた。
 「ーーギョクモ?」
 ちーがーうー、と言いたかったがやはり声がでないので、セラヴィに顔を近づけてなんとか否定の意思を示してみた。
 「すみません、たまも、で読み方あってるんですよね」
 よしよし、伝わった。私は満足したので、今度こそ家に帰ることにした。
 
 私は自転車を漕ぎながら一人物思いにふけっていた。
 展開もオチもわからないのにちっとも面白くないものなーんだ?
 正解は「人生」です!
 今はその答えが間違っている気がした。そうだよ、人生が私を面白くすることもあるのかもしれない。たまには。(了)

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