天野満
ハゲはあけぼの。やうやう薄くなりゆく生え際、少しテカりて、髪は薄く風にたなびきたる。
鏡に写った自らの貧しい頭髪が、俺を薄毛界の清少納言にした。
ハゲたくないよー、ヤダヤダヤダ。と床に転がって駄々をこねても髪の毛は生えてこない、どころか、暴れ散らかしたら、また数本髪が抜けたのである。
よし、毛生え薬飲んだろかいな、いや、でも金はかかるし、人体にどんな影響があるかわかったものではない。それに毛が生えると言っても、髪とは限らず、ヒゲやその他体毛だけが濃くなる可能性もある。薬を辞めた途端にハゲまくるとも聞いた。むう、薬はリスキーだ。
希望は潰えたり。さっさと辞世の句を読み、坊主にするか。まあ、それはそれでカッコええし、便利そうじゃないか。
でもやっぱり髪の毛でオシャレしたいときもありますヨネー、と年頃の娘のような願望を俺は捨てることが出来なかった。そして、あれこれ考えたあげく、俺は「髪で遊びたいときはウィッグをつける」という結論に辿り着いたのである。
ウィッグ。それは日本語でいうところの「カツラ」である。芥川龍之介の『羅生門』で老婆が作ろうとしてたアレだ。もっともあんなにおどろおどろしくはないけれども。
ウィッグも昔は高価な上に作り物丸出しであり、とても実用に耐えられなかったそうたが、最近は技術の進歩により、手頃な価格で良質なものが手に入るようになっているらしい。インターネッツショッピングで色々なウィッグを惹かれながらも、俺はモワモワした気持ちを抱えていた。
いくらウィッグなどとオシャレな感じの言葉を使ってもやはりヅラはヅラではないか。
どうにもオッサンがつけるカツラに対する面白おかしなイメージが払拭できず、強風に煽られて慌てふためいたり、ハリセンで頭をどつかれて、勢いよく飛んでいったりするシーンが連想されてしまうのであった。
もう俺は一生髪で気持ちよく遊べないのか、俺が髪の毛を伸ばし、金髪にしてチャラチャラしてたころに買った服も全部タンスの肥やしになるのか、さみしいなあ、と思っていたその時だった。俺の頭の中にハゲしい、いや激しい雷が走り、とんでもないことを思いついたのである。
いっそのこと、女装するか。
えええええええ、really? と、自分自身なりながらも、俺は笑いが止まらなかった。初めてベースギターを弾いたときのような、小説を書きはじめたときのような、底知れない高揚感が俺の心を満たした。
で、俺はロックをやるときと、小説を書くときだけ女装してやろうと思った。
俺の場合、女性になりたいというのではなく、スーパーヒーローに変身するような心持ちなのだ。ロックにはグラムロックと呼ばれる、中性的なファッションが特徴的なジャンルがあるのだけれど、それを目指すような感じになるのかもしれない。芸術をやっている瞬間、俺は自由だ。性別、地位、収入、その他、世間から突きつけられる「ジョーシキ」や「アタリマエ」を蹴っ飛ばして、思いっきり躍動する。うだつのあがらない三十歳手前の会社員のオッさんが、家に帰ると、女装して芸術をやっている。それを会社の人は知るよしもないとは何とも面白いではないか。
いつの間にかカツラに対する抵抗感も無くなった。女装ならば仕方ないよね、と何故か不思議と納得できたのである。
ひとしきり笑って、洗濯物を取り込みにベランダに出ると夜だった。でも俺はたしかに朝焼けを見たんだよ。(了)
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